いまここに在ることの恥


辺見 庸著「いまここに在ることの恥」(毎日新聞社刊)より

(憲法について)
「国民の総意」というフィクションも奇妙です。あるいは無言の恫喝。われわれは「総意」という言葉をいつも自然に受け入れてきた。総意のなかにわれわれ個人の主体を責任をもって入れ込むことなしに、なしくずし的に事態を受け入れてきた。異論というものに耳を傾けず、例外を駆逐してきた。それがこの国独特の世論醸成の方法です。熾烈な議論で世論を構築したのではなく、なんとなく空気を醸していく。そうしたやりかたは、いまも続いている。

ある思想家は「日本のファシズムというのは、ナチスも羨んだぐらいのファシズムなんだ」といいました。かならずしも上からの強権発動によらないですむ、全民的協調主義。あらかじめのファシズム。それはいまも続いている。ウンベルト・エーコはたしかに「ファシズムには、いかなる精髄もなく、単独の本質さえありません」というけれども、日本にはたぶん、ファシズムの精髄ないし精華があるのです。なぜかというと、日本のファシズムは純粋ファシズムだからです。それは上からのファシズムではない。私たちみんなの、下からのファシズムでもあるからです。(120−121ページ)

(皇族の身体にかかわること)
特殊日本の思想、文化の暗部でもっとも微妙なのは身体なのです。天皇については、いわば形而上的にはそれなりのことは書いてもいいのです。しかし、天皇の身体について、皇族の身体にかかわるテーマを小説などに書いたとしたら、その刊行を簡単に引き受ける出版社はまずないと思います。(123ページ)

(外在する視えない暴力装置と内面の抑止メカニズム)
暴力組織は外在するものだけでしょうか。私はそうは思わないのです。それは、じつはわれわれの内面の抑止機制、内面の抑止メカニズムと関係がある。この監視社会は体外のカメラが24時間われわれを見張っているだけではなく、われわれ自身がわれわれの挙動を絶えず監視してもいます。つまり、外部の視えない暴力組織と、われわれの自己体内の神経細胞の間には、意外な共犯関係があるといわざるをえない。そしてそこには、私の表現によれば(無期限の視えない実定法)が伏在していると思うのです。(127ページ)
http://www.southwind.us/cinderella/kangaeru.htm


2003年12月9日、自衛隊のイラク派兵が閣議決定された日、まごうかたない憲法破壊者、小泉純一郎が、「憲法とはこういうものなのだ、皆さん、読みましたか」とのたまう。あろうことか、自衛隊をイラクに派兵するその論拠が憲法前文にある、と言ったのでした。これは二つの意味で屈辱的でした。最悪の憲法破壊者であるファシストが、全くでたらめな解釈によって、平和憲法の精神を満天下に語ってみせたということ。二つ目は、小泉の話を直接聞いていたのは、他でもない政治部の記者たちです。彼らは羊のように従順にただ黙って聞いていた。翌日の新聞は一斉に社説を立てて、このでたらめな憲法解釈について論じたでしょうか。ひどい恥辱として憤怒したでしょうか。いない。ファシズムというのは、こういう風景なのではないか。
辺見庸の新刊、『いまここに在ることの恥』から抜粋
http://stenmark.exblog.jp/4000555/


 ・・・あのファシストの話を黙って聞いていた記者たち。世の中の裁定者面をしたマスコミ大手の傲岸な記者たち。あれは正真正銘の、立派な背広を着た糞バエたちです。彼らは権力のまく餌と権力の排泄物にどこまでもたかりつく。彼らの会社は巨額の費用を投じて「糞バエ宣言」ならぬ「ジャーナリスト宣言」などという世にも恥ずかしいテレビ・コマーシャルを広告会社に作らせ、赤面もしないどころか、ひとり悦に入っている。・・・・
http://sumiyakist.exblog.jp/4374894


こうした文脈で登場していただくのはまことに恐縮ですが、岩田正さんという立派な歌人がおられます。1924年生まれですから、私よりも20年も先輩の方です。〔…〕

きっと彼は怒ったのです。私はこの岩田正さんは恥を知る、廉恥心の持ち主だと思うのです。さきほど申しあげたマスコミ人とは、いわずもがな、大ちがいです。彼はなんと歌ったか。こうです。「九条の改正笑ひ言ふ議員このちんぴらに負けてたまるか」。もう一度ご紹介します。「九条の改正笑ひ言ふ議員このちんぴらに負けてたまるか」。

「議員」というのは国会議員でしょう。こばかにしたようにへラヘラ笑いながら憲法第九条などもう変えたほうがよい、軍隊保持は世界の常識ですよ……とかなんとか若手議員がテレビかなにかで揚言する。嗤笑しつつ、あるいは、ふくみ笑いしながら、いかにもわかったようなことをいう。それに激怒したのではないでしょうか。

「寝床にてする回想のたどきなし潮の香ひとの香貧の香まじる」。こんな深く静かな歌を詠む方が、怒った。人がほんとうに腹の底から怒ったら、どうしたって瞬時、顔が醜くなる。声も汚くなる。それはいたしかたがないことだな、いや、必要なことだと私は思うのです。かっこよくなんかふるまっていられないときというのがある。
http://randomkobe.cocolog-nifty.com/center/2007/05/post_d8fa.html