cross_of_liberty


     Cross of Liberty
 
 
 聖誕祭が近くなると小田原学園は忙しくなる。
 いつもはジャガイモか発芽麦の粥に、ひと切れのサーモンが全てだった三度の食事も、この日ばかりはソーセージやパイが添えられた。
 拾い集めたアルミのチャフ、T−34の装甲鈑、モーゼル銃の薬莢は換金されたり、修理されたりして寂しい懐にひと時の温もりを与えてくれた。
 十二月二十四日、午前零時。
 敵の攻撃も毎年、これからの二日間は緩やかなものになった。
 理由は他でもない。
 校則で規制されているとはいえ、人の営みをつくる古来のしきたりは、簡単に変えることはできないものだ。
 前夜祭たる今晩、学園島中の塹壕や天幕の下、あるいは廃屋の影、あるいは雪壕の中で、兵士達は仲間うちで祝杯をまじえ、従軍司祭はミサのキャンドルに火を灯し、恋人同士は愛を交わす。
 乾いた戦いの合間に束の間だけ訪れる安らぎの二日間だった。

 しかし、何ごとにも例外はあった。
 小田原学園の防衛線たる万年灰夢(まんねんはいむ)線から二百キロ離れた良賦(らふ)郡の森に、学園中の魔法少女が集まっていた。
 その数二百四十人。
 蝦夷松と樅の木が居並ぶ森の中にひらけた野原があり、そこに彼女達は集まっていた。
 周囲ではトナカイが嘶きをあげ、荷物を積んだ雪橇がひしめき合っていた。
 魔法少女はみな、膝上二十センチの赤いミニスカートを履いていた。
 裾にふわふわのモールをつけ、赤いパンプスに黒いベルト。
 上着はやはりベルベット地の赤で、白い毛の縁取りがされていた。
 俗にいうミニスカサンタの格好だ。
 手には魔法の杖を持ち、全員の視線は中央の演壇に集まっていた。

 演壇にはリーダーの魔法少女が立っていた。
 頭には紅白の三角帽をかぶり、幼さを残す顔からはきれいなプラチナブロンドが流れる。
 大きな碧眼は見ているだけでクラクラとしてくるほど愛らしく、今日十八歳になったばかりの少女は、のびのびとしたソプラノで檄を飛ばした。

「栄光ある小田原学園の魔法使いのみなさん!
 例年のことですが、激しい戦闘のなか集まってくれ、感謝の念に絶えません。
 戦局は厳しいですが、徐々に光は兆しています。
 今年もまた真摯な気持ちで、自らの職務に務めて欲しくあります。
 今、改めてみなさんに申し上げます。
 小田原学園全生徒、いや、学園島の全ての学園にとって、これから二十四時間は正念場となります!
 相手のいる男女にとっては喜びのとき、相手のいない男女にとっては哀しみを確かめ、それぞれに憂さを晴らす二十四時間となります!
 敢えていいましょう。
 私達の相手はその両方です!
 彼らに祝福を授け、願いをかなえるべく、これから四十八時間、みなさんは全身全霊を上げて生徒たちに奉仕するのです!
 任務は重大にして困難ですが、それこそが聖ニコラウスの末裔たる小田原学園魔法少女の定めであり、栄えある務めでもあります!
 慎ましやかで善きことを知る者に、神の祝福を杯に満ちるまで授けましょう!
 喜びに花を咲かせ、木々の枝で安らぎを守りましょう!
 これは私の意志ではありません。
 学園の意志でもありません。
 偉大なるテトラグラマトンの意志なのです!
 もちろん、過剰な要求や悪をなす者がいれば、聖法に従い容赦なく罰しましょう。
 しかし、罰は四十八時間が過ぎたときからにしてください。
 今年もまた、時間は限られています。
 時は少なく、しかし、優秀な諸君ならきっとやり遂げられるものと私は信じています。
 私自身も微力ながら全ての力を捧げましょう。
 今から命令を出します!
 ミカエル隊は南方を統べなさい!
 ガブリエル隊は西方を統べなさい!
 ウリエル隊は北方を統べなさい!
 ラファエル隊は私に続き、東方を統べます!
 明け方までに展開を済ませ、天明とともに攻勢に移ります!
 二十五日の薄明までに全ての地域を制圧し、偉大なる生誕の光を導きます!
 栄えある光を降らし、学園の全生徒に喜びを与えなさい!
 時計を合わせます!
 状況を開始します!
 みなさんの健闘を祈ります!
 テトラグラマトンの御名により、アーメン」

「アーメン」

 全員が唱和した。
 橇にトナカイがつながれ、四隊に分かれた魔法少女は整然と夜空に飛び上がってゆく。
 リーダーの椎有も橇に乗った。
 荷台には白い袋。
 手綱を搏つと、一頭立ての小さな橇はぐんぐん空へと昇ってゆく。
 オリオンが南の空に輝き、御者座が天頂近くを渡る。
 月の光を右手から受け、椎有は星空を駆けた。

 森をわたり、万年灰夢線近くの陣地で橇を降りた。
 雪をかぶった樅の木立に橇を隠し、椎有は暗闇の中で荷台のカバーを除けて補給物品を次々とキルティングの袋に詰めていった。
 夜明近くになると、呪文を唱えて束の間だけ姿を隠す。
 歩哨線を越えて本部壕を歩きすぎ、前線の塹壕で眠る男の子の一人に歩み寄った。
 同い年あたりとおぼしき男子が安らかに寝息を立てている横に、そっと横たわると夜明けを待った。
 東の空から朝日が差してくる。
 日射しに魔法が解けて姿が現れ、目を覚ました男子の目の前で、椎有はニコリと微笑んだ。

「おはよ。今日のラッキーナンバーは、兵隊番号548937のあなたです。メリークリスマス!」

 頬に軽くキスをし、頭の傍にプレゼントを置いた。

「数は限られておりますので、こちらは皆さんへのおすそ分けです」

 起きてきた他の隊員達に、緑と赤の小さな包みを渡してゆく。
 中身は特別配給でもめったに出ることのない、ミートボールの缶詰だった。

「ありがとう」「ありがとう」

 モシンナガンやスウェディッシュ・モーゼルを肩にかけた隊員達から、口々に涙まじりの感謝の言葉が掛けられる。

「いえいえ、どうも。先を急いでいますんで」

 椎有はひとしきり手を振ると、くるりと回転し、すれすれの角度でスカートの裾を跳ね上げて木立のなかに駆け去っていった。
 やがて雪野原に橇が浮かび上がり、兵士達が手を振るなか次の陣地へと飛び去ってゆく。

「メリークリスマス」

 互いに掛け合う声が雪原に響く。
 よしよし、順調ね。
 微笑みながら見下ろせば、先ほど渡した男子が包みを開けて目を白黒させていた。
 あら?
 不審に思い、荷台に置いた袋を確認した。
 雑多に詰め込まれたプレゼントを数えると、女の子用が一つ少なくなっている。
 いけない。
 下では先ほどの男子が、女性用の下着を前に顔を赤くしていた。
 しまったという顔になる。

「間違えたわ」

 そうつぶやいて軽く舌を出した。
 まぁ、仕方がないかも。
 今回は、準備を含めていろいろと時間がなかったのだ。
 困った椎有は照れ隠しにいろいろと想像する。

「きっと使うあてがなくて、彼はプレゼントを誰かにあげるでしょ。それがきっかけになって、もらった女の子と彼の二人が仲良くなればオールオッケーです。万事解決。下着もお役立ち。神様は祝福です!」

 のんきに独り言ちて気を済ませ、

「いっそがっなきゃ。目標時速十五件です!」

 歌うように言いながら大きく鞭を入れると、橇は午前中の空を軽やかに駆けた。
 
 
 小田原学園魔法少女は翌日黎明にかけ、七万二千個のプレゼントと百八万個の缶詰の配給を完了させた。
 年頃の娘にとって一年のうちで非常に重要な二日間を激務に費やし、椎有は二十六日の午前零時をすぎて森に戻ると、不眠不休で任務を完遂した部下達をねぎらった。
 用意していたプレゼントを渡して小宴を済ませ、部下達がシャンメリーとワインの瓶を片付けてゆくのを尻目に、最後に袋のなかに残ったプレゼントボックスを見、高校三年生のリーダーは小さく嘆息した。
 仕方ないよね。
 木立の脇で橇の私物をまとめながら、そう自分を慰める。
 プレゼントを渡すべき彼は、今年のラッキーナンバーでもなければ、配布先担当地域でもなかったのだ。
 時間がとれれば寄り道して渡そうかと考えていたのだが、それも無理だった。
 担当地域は彼のいる基地と間逆の方向だったのだ。
 ミニスカサンタのコスチュームの上から厚手の黒いローブを着、手製のプレゼントを袋から出す。
 仕事にこじつけて、特別なのを渡すつもりだったのに。
 恨みがましい目つきでラッピングをした箱をジト見し、自分の鞄に戻し入れた。
 渡した後には当直の予定を聞きつけ、ミニデートの約束を取り付けようという魂胆だったのだ。
 ちなみに彼とは、夏あたりから気になっていた意中の彼のことである。
 当然、まだ付き合っていない。
 椎有は片付けの手伝いにむかった。

 配給作戦は二十六日の零時をもって終了するのは、学園生徒にとって周知の事実だった。
 作戦の終了は校則や祭則で厳密に決められており、時間を過ぎればたとえ配布直前でも作業は中止された。
 その時間を過ぎてからプレゼントを渡しに行くのは、大々的に自分の気持ちを宣言しに行くようなものだ。
 いいもん、来年渡すもん。
 瓶のケースを橇の前にヨイショと置く。
 プレゼントのペンタクルはバレンタインにも対応できるようにしておいたのだから、と無理やりに自らを慰め片づけを済ませると、三々五々に森から去ってゆく魔法使い達を見送った。
 あるいは箒に乗り、あるいは召喚獣の背に座って去ってゆく。
 皆互いにこれからの予定を話し合っていた。
 これから二日間は魔法少女にとって小正月のようなものだ。
 あるいは仲間同士で杯をかかげ、あるいはミサに集い、あるいは恋人同士で愛を交わす。
 自分は基地に戻ったら、たった一人で二日間の休養日。
 慰めあう仲間もいないたった一人の二日間。
 最後の一人も見送ると、彼女も箒にまたがり空に飛び上がった。

 スケジュール、埋めとけばよかったなぁ。
 眼下の世界は皆気持ちを切り替え、明日からの戦いに備えているのだろう。
 他の魔法使いも、これから二日間で憂さを晴らすのだ。
 わたし以外はみんな。
 これから混ぜてと彼女達に頼むのは、いかにもかっこ悪かった。
 聖誕祭明けの基地で、遊んでくれそうな暇人もいないだろう。
 とりあえず途中のベーカリーでケーキぐらいは買って帰ろうかなぁ。
 しょんんぼりと基地へ飛び戻るうち、なぜだか貧乏くじを引いたような気がしてきた。
 他の人はみな楽しいことを済ませているというのに。
 自分だけは一人寂しく、営舎の部屋で自分をなぐさめるのだ。
 なんでわたしだけが……。
 ムカムカと腹が立ってきた。
 椎有は我慢できずに、まだあけ染めない夜の星空へ叫んだ。

「神さまのバカーっ! なんでいちばん叶えて欲しい願いは叶えてくれないのーっ!!」

 澄んだソプラノは冬の星空によく響き、遠くのデネブの輝きが一瞬ズッこけたように揺らいだ。
 翌年、小田原学園はその犠牲精神に敬意を表し、神楽坂灰夢会長は魔法少女のリーダー椎有・ソフィア・リトマネンへ二級自由十字勲章を授与した。
 クリスマス配給作戦での叙勲は、学園内の年中行事の一つでもあった。
 
 
――おしまい