様相について


様相について
  • がんばって書きまする。様相(modality)とは可能、必然、偶然などの概念の総称です。
  • Chapter1 脇どのの九鬼周造の紹介に対抗して
    • 現在の様相論理学においては、可能と必然がセットになって扱われていて、偶然はなんだか疎外されているようにも見えます。とは言えどもこの三つの概念の関係は論理式で表すことができます。(□…必然、◇…可能、▽…偶然、P…任意の命題)

      ▽P=◇P∧◇〜P(解釈:Pが偶然=Pが可能かつPでないことも可能)

      ▽P=◇P∧〜□P(解釈:Pが偶然=Pが可能かつPが必然ではない)

      さて、このような二つの偶然の解釈が出ましたが、「可能と偶然の違いは?」という問題が生じます。脇どののページより失敬した図をご覧下さい。

      必然性←………可能性………→不可能性
      偶然性
      強調しなければならないことは、「可能は必然を含む」という点です。つまり、

      □P⊃◇P(解釈:Pが必然ならばPは可能である)

      は通常真であると考えられます。例えば、論理的真理(ここではP∨〜P)は必然的真理ですが、もちろん現実世界で真です。現実世界は可能世界のうちの一つですから、Pが可能=少なくとも一つの世界でPが真、より、Pが必然ならばPが可能となります。

      このようにして、可能は必然を含みます。ならば、偶然はというと、「可能だけれども必然を含まない(もちろん、不可能も含みません)」という意味になるようです。脇どのの図では、「可能性」という部分がそのまま「偶然」にあたるというわけですね。これについての詳細は次回「アリストテレスにおける様相概念」にて(予定)。以下様相論理における必然、偶然、可能の関係の図。 

      必然………偶然………不可能
      可能………可能………不可能
  • 備考1:脇どの、書き忘れたのですが、これはあくまで様相論理学における解釈です。九鬼氏の説明は、まああまり読んでないので偉そうなことはいえませんが、脇どのが正しいように思います。この辺は、バックグラウンドの相違があるので、可能に対して異なる説明が生じているのでしょう。個人的には、偶然が「不可能に限りなく近い可能」という説明は的を得ていると思います。ただ、様相論理学ではこのような微妙な表現が不可能なので、上記のような説明になってしまうわけです。
  • 備考2:脇どのの質問に対して。「様相論理で真理はどう定義されるのか」という質問は、つまり必然的真理と可能的真理はどう定義されるのか、という問いであると受け取りました。これに回答しましょう(もし違っているなら再度書き込みを)。まずは次の定義をご覧下さい。

    必然的真理=すべての可能世界における真理

    可能的真理=少なくとも一つの可能世界における真理

    可能世界についてはここでは現実世界のような世界がパラレルワールドのようにたくさん存在すると考えてください。そのすべての可能世界で成り立っているPという真理は、別様でありえないから、必然的真理、他方、少なくとも一つの世界で成り立っているQという真理は、別様でありえる、つまり、さらに別の可能世界では〜Qでありえるから、可能的真理となります。

    脇どのの質問が、「すべての可能世界における真理」の「真理」はどう定義されるか、という質問だとすると、これは様相論理学では語りえないように思います(あまり自信ありませんが…)。この場合の真理は、むしろタルスキやデヴィッドソンにおける真理条件的意味論、例えば『「雪が白い」は、雪が白い、その場合に限る』を前提としているのではないでしょうか。これまた別の問題となりますね。

  • 備考3:様相のカテゴリーの相違について。これは完全に私見であって、背景に文献を持たないものですので、ガシガシ叩いてください。様相は、哲学において、3通りの仕方で議論されているように思えます。

    1 客観的様相…論理学で扱われる様相―アリストテレス、ライプニッツ、クリプキを含む現代英米系の方々

    2 主観的様相…近代哲学における主題「私」、あるいは「主体」の視点から見た様相―カント、ハイデッガー、九鬼

    3 倫理的様相…自由意志、功利主義などの問題とともに議論される様相―デカルト、スピノザ

    あえて、カテゴライズすれば、私は1、脇どのは2の視点からの様相へのアプローチを紹介しているという形になるかと。2と3はちょっと境界が曖昧かもしれませんね。

  • 備考4:備考2の備考:まず「「現実世界」と「他の可能世界」を区別する徴表 Merkmal が私にはよくわかりません」への回答は色々あります。ここでは単純に可能世界と現実世界は「同種」のものと考えましょう。次に現実世界の可能的真理を基準にしているという指摘はそうであって、むしろ、私たちが物事の可能性について語る際に、およそ基準にするのは(ターゲットにするといったほうが適切でしょうか)現実世界で起こっていること(ただしこれは起こらないこともできた)ではないでしょうか。例えば、現実世界の現在のアメリカ大統領がブッシュではないかもしれない、とか。可能的真理、というときに、「現実世界ではそうだけど、そうでなかったかもしれない」ということが意味されています。おそらく現実世界で真であることを基準にツッコミを入れていただければ、問題ないかと思います…。
  • Chapter2 アリストテレス『命題論』から偶然性の概念を抽出する試み。