▽P=◇P∧◇〜P(解釈:Pが偶然=Pが可能かつPでないことも可能)
▽P=◇P∧〜□P(解釈:Pが偶然=Pが可能かつPが必然ではない)
さて、このような二つの偶然の解釈が出ましたが、「可能と偶然の違いは?」という問題が生じます。脇どののページより失敬した図をご覧下さい。
必然性 | ←………可能性………→ | 不可能性 |
偶然性 |
□P⊃◇P(解釈:Pが必然ならばPは可能である)
は通常真であると考えられます。例えば、論理的真理(ここではP∨〜P)は必然的真理ですが、もちろん現実世界で真です。現実世界は可能世界のうちの一つですから、Pが可能=少なくとも一つの世界でPが真、より、Pが必然ならばPが可能となります。
このようにして、可能は必然を含みます。ならば、偶然はというと、「可能だけれども必然を含まない(もちろん、不可能も含みません)」という意味になるようです。脇どのの図では、「可能性」という部分がそのまま「偶然」にあたるというわけですね。これについての詳細は次回「アリストテレスにおける様相概念」にて(予定)。以下様相論理における必然、偶然、可能の関係の図。
必然 | ………偶然……… | 不可能 |
可能 | ………可能……… | 不可能 |
必然的真理=すべての可能世界における真理
可能的真理=少なくとも一つの可能世界における真理
可能世界についてはここでは現実世界のような世界がパラレルワールドのようにたくさん存在すると考えてください。そのすべての可能世界で成り立っているPという真理は、別様でありえないから、必然的真理、他方、少なくとも一つの世界で成り立っているQという真理は、別様でありえる、つまり、さらに別の可能世界では〜Qでありえるから、可能的真理となります。
脇どのの質問が、「すべての可能世界における真理」の「真理」はどう定義されるか、という質問だとすると、これは様相論理学では語りえないように思います(あまり自信ありませんが…)。この場合の真理は、むしろタルスキやデヴィッドソンにおける真理条件的意味論、例えば『「雪が白い」は、雪が白い、その場合に限る』を前提としているのではないでしょうか。これまた別の問題となりますね。
1 客観的様相…論理学で扱われる様相―アリストテレス、ライプニッツ、クリプキを含む現代英米系の方々
2 主観的様相…近代哲学における主題「私」、あるいは「主体」の視点から見た様相―カント、ハイデッガー、九鬼
3 倫理的様相…自由意志、功利主義などの問題とともに議論される様相―デカルト、スピノザ
あえて、カテゴライズすれば、私は1、脇どのは2の視点からの様相へのアプローチを紹介しているという形になるかと。2と3はちょっと境界が曖昧かもしれませんね。