去り行く日々


去り行く日々  Die Vergehende Tage

  • 2005年2月18日 金曜日

    さて卒論諮問と大学院入試と続き、どたばたしていたせいでページを更新していませんでしたが、無事合格も決まり一安心です。

  • 2005年1月31日 月曜日

    M.LutherはZum achtenまで進み次回は木曜Zum neuntenから。計画通りでございます
    今日は夕方から人間論の先生方が集まって何ぞされておりましたが、19時過ぎた時点で全員の研究室に灯りが!W條先生だけれいによって…と思いきや、なんと先生までいるよオィっ うぅむ入試関係なのだろうか
    昼中は快晴でしたが、現在は雪。
    急性中耳炎の診断。内側と外側の圧の違いが妙に気になる。。。

  • 2005年1月24日 月曜日

    M.LutherはZum viertenまで進み次回は木曜Zum fünftenから。
    院試のための勉強、O方さんと読んでいるテキストがマルクスで終わるので、続きについて考え中。さてどうしたものか。それにしてもヘーゲル以降を「マルクス主義と実存主義」て簡単にまとめすぎだよなぁ
    風邪がなかなか治らない。そろそろ一週間になるのだが。。。

  • 2005年1月19日 水曜日

    あけましておめでとうございます。一体開き直りとは、何と大いなる肯定であろう!
    哲倫掲示板にも書きましたが、無事卒論を書き終えました。次は院試の勉強ですが。
    で、ドイツ語の勉強をかねてツァラトゥストラを序文から読み始める。O村先生とはルターの『キリスト者の自由』を読むことに。短いのでさくっと読めそう。
    諮問はおそらくジュマリ先生だということなので、エリアーデの『永遠回帰の神話』なんぞも読んでみる。
    というわけで、遅ればせながら今年もよろしくお願いします。

  • 2004年10月28日 木曜日

    卓球の曜日が一日増える。ドイツ語E先生と英語A先生登場、お久しぶりです。
    久しぶりなのはこのページの更新でしょう。
    最近は妙な夢をよく見ます。ストレス溜まってるようです。
    僕の高校時代の哲学遍歴。倫理の授業→ソクラテス→シュティルナー→アラン→亀井勝一郎→トルストイ→ショーペンハウアー→ニーチェ
    妙なのが混じっているのは気にしないで下さい。

  • 2004年10月 4日 月曜日

    月曜日は「哲学的討論の現場」。本日の発表者は中哲の林先生で、論題は「徳があるということ」でした。「徳」という考え方は行為−規則という現代的な考え方よりイイゾっという趣旨のものでしたが、議論としては「徳」とはなにか?というソクラーティッシュなものに終始していたような気もしました。学生の発言が予想外に多く僕の発言の機会がなかったのが残念。
    ドラゴンズ優勝は翌日のイチローの大偉業にその影も薄く。。。

  • 2004年10月 1日 金曜日

    後期のTischtennisサークル始動。久しぶりにからだを動かした感じです。
    F荘先生にWille Zur Machtを読みましょうよと懇願。来週から少しずつ読むことに。
    きょうは授業がなかった。。。

  • 2004年 9月30日 木曜日

    木曜は授業もないので、毎週卒論の研究をする曜日に。
    と思ったが、急遽バイトの代行を頼まれ仕方なく働く。Arbeitは仕事と勉強どちらも意味するんだった。
    DVDで「ペイ・チェック」を観る。割と影響され時間論に関する本を読み直してみたり。

  • 2004年 9月29日 水曜日

    朝起きて学校へ。車で通学中、雨風共に強まるが、気にしない。大学に着くが午前は休講とのこと、なんだ早起きしたのに。。。そうか、台風が来てるんだなぁ、と今更ながらに思う。のちに午後も休講となる。なにしにきたのやら、と思ったが、O村先生は「ドイツ語やりますよ」とのこと、素晴らしいデスね。
    水曜はO方さんと勉強会の予定だったが、今回は当然見送ることに。院試の勉強会なので、哲学史をします。初回はイオニア・ピュタゴラスあたりをと。

  • 2004年 9月28日 火曜日

    前期に引き続き、火曜はアリストテレス演習。後期は二次文献を読みます。例の如くヒンティッカが選出されている。僕の担当はバーンズ。今日はやはりガイダンスだけ。せっかくきてガイダンスだけなのは寂しいものがあります。
    古本で『かくも不吉な欲望』(P.クロソウスキー)をゲット。この本には彼のニーチェ論・バタイユ論などが載っているのだ。

  • 2004年 9月27日 月曜日
    • 「非難すべき行為」という概念は我々を困惑させるものである。およそそれ自体非難されうるものとして生じるものなど何一つとしてない。 (Der Wille zur Macht/Nietzsche)

      今日から後期授業開始。今日は共通の「哲学的討論の現場」を聴講、ガイダンスだけでした。
      山大哲学研究論集、今年も出来なさそうです、残念。
      4年生がそわそわしている、自分を含め。「そろそろヤバイのでは」という空気が・・・聞く限り夏休みで勉強が進んだという人はいないようで。それで自分は?
      O村研究室のドイツ語「ギーター」は水曜日に変更に。先生、ニーチェも読んでくださいよ。

  • 2004年 8月 7日 土曜日〜2004年 9月26日 日曜日

    夏期休暇により更新休止

  • 2004年 8月 2日 月曜日
    • 神は私たちにご自分の霊を分け与えてくださいました。このことから、私たちが神の内にとどまり、神もまた私たちの内にとどまって下さることがわかります。 (ヨハネの手紙第一)

      上記は新約聖書ヨハネの手紙第一の四章十三節で、『神学・政治論』緒言の前に引用されている部分であるが、若干訳が硬いので新共同訳聖書のものを記した。参考程度に。
      というわけで、我らがU野先生による集中講義の初日。参加人数が多いので驚いたが、そういえば去年の先生の講義もなぜか専門外の学生がよく来ていたものでした。小さなトラブルもややありましたが、楽しみにしていた久しぶりのスピノザの講義です。
      訳者まえがきに代えての解説より。―『エチカ』における哲学的神観・哲学的宗教を通じて行われる認識による神との合一は、本来目指すべきものとはいえその方途は容易なものではない。しかしながら大多数の人々は認識による合一の変わりに、啓示的宗教を通じて信仰による神との合一をはたすのである。そして『神学・政治論』における神は、後者を想定したものなのである。―つまり「無理に『エチカ』を読まなくても、きちっと信仰をもって生きていけるなら、それで幸福を得られるなら、それでいいのだ」ということだろうか。この話を例の「思想なんていらない〜」の話に関連させるなら、「無理に難しい哲学書を読まなくても、立派に生きていくことは十分可能なのだから、それで幸福に生きていけるのだから、それでいいのだ」ということになるのかもしれない。先生は「それじゃあ何でエチカ的な方法をわざわざする必要があるのか」と仰っていたが、信仰をもつということのほうが格段に難しいことであるという人がやはりいるだろうし、スピノザ自身そうであったろうと考えるなら、わりと理解できることではあると思う。また、「思想なんていらない」という意見に批判的反応を示す人らもまた、哲学せずにはいられない人なのだとも言えるだろう)。
      OBの面々とイタリアの台所でお食事。親睦を深めるいい機会となった・・・かな?

  • 2004年 7月30日 金曜日

    O村先生らとお食事へ。先生とニーチェについてやや語る。意外とニーチェについて普段詳しい話をしてくれないからなぁ。宗教と哲学についても、先輩を交え三人で語る。何ともアカデミックで有意義な時間が流れたものです。
    宗教乃至宗教的なものの捉えきれなさは、ある意味「無限」という概念のそれに近しいものがあるように思います。宗教学演習のレポートで、「無限は数え尽くされたとき無限であることをやめてしまう。しかしそれと同時に、数え尽くしたはずの数からさらに続くであろう数列がそこにあらわれ、また無限を構成することになるのである。これは聖なるものの補完されなさそのものとも言えよう」などとやや感情的にエラそうなことを書いてしまったのですが、宗教学では論理的枠組みをある種超えでて(それは非論理的ということには直結しない)語らねばならないものもあるということです。こんな言い方、先輩は認めませんね(笑)。でも僕としては分析哲学の立場による宗教批判及び宗教哲学などのほうが、よっぽど認めたくないんですけどね。(あ、なんかちょっと挑発してるっぽい?)

  • 2004年 7月26日 月曜日

    日本には多くの「御当地戦隊」というものが存在する。離島戦隊タネガシマン(鹿児島)とか、リサイクル戦隊ワケルンジャー(福井)とか、平戸防衛戦隊ひらどしマン(長崎)とか。しかしついにここY口県にも、「県知事戦隊行クンジャー」なるものが発足、各地(県内)で活躍(?)している。あぁベタなネーミング(「い」は何故か漢字で「行」)、胸には88のマーク、そして5人。学内にポスターが貼ってある他、ローカル放送でたまに観ることができる彼らに、ゼヒ声援を!そして彼らが県の職員であるとは思っても口にはしないこと!
    ちなみに戦隊以外にも「御当地ヒーロー」はいて、柳川マスク(ビデオがある)なんかもあり、ほとんどがHPを持っている為検索すると大抵出てくる。

  • 2004年 7月23日 金曜日

    DVDで『CUBE2』を観る。テセラクト、別名Hypercubeに関するお話。ていうか最後になっても謎だらけだよ。テセラクトは四次元立方体ということになっていたが、どうも五時限ではないかと思われる。長さ、幅、奥行き、それにさらに空間的第四の次元が加わって、四次元。だがそれプラス時間あるいは可能世界(!?)があるのではないか、と。こういう話は詳しくないからなぁ

  • 2004年 7月22日 木曜日

    暑いので勉強をやめて部屋の掃除〜・・・も暑いので結局しなかった。だれてるなぁ。
    バタイユの『内的体験』を読む。第二部「刑苦」で、時間論(輪廻等に関する内容で)ともとれる考察があった。バタイユを読んでて初めての論理的な場面かもしれない。バタイユは一気には読めない。Stimmungが大事。

  • 2004年 7月21日 水曜日

    私の前期授業最終日。3コマ目の西洋哲学特殊講義では普遍をめぐる実在論と唯名論の議論を見てきたのだが、W條先生、何を思ったか「どれが好きか投票」を開始。結果プラトン・イデア論が勝利と、何千年もの議論を無に帰すような結果に(笑)もちろんそれは言いすぎですが、二位がT中さんが言い放ったクワイン・蜃気楼説「そこに問題は何もない」だったのもどうかと。
    基本的に授業は「腕力」のテキストに則っていたのだが、彼の内在イデアは支持されなかった、というより分かり辛かったといえる。

  • 2004年 7月20日 火曜日

    寝る前にバタイユが日課になりつつある。暑さをかき消し心地よい瞑想・・・ではなく眠りにつくことが出来ます。いよいよ『至高性』が欲しくなってきた。
    午前中にU野先生へメールしたところ、4時の時点で既に返信が。素晴らしい。

  • 2004年 7月16日 金曜日

    今日は月曜日課だった。カント演習も今日で終わり。倫理学、後期からどうなるんだろうか。

  • 2004年 7月15日 木曜日

    創世記、ヨセフのあたりを。うーん、ヨセフって・・・

  • 2004年 7月14日 水曜日

    今日は学校を早々に引き上げ、市内の古本屋へ。2800円消費。半分漫画、『パタ○ロ!選集』。あぁこれでだいぶ揃ったぞ。

  • 2004年 7月13日 火曜日

    卒論演習はもう終わったので、今日は4コマまで。とはいえ後期にもう一週回るんですがね。
    最近いつも「ピンポンパンポ〜ン  冷房を止めてください×2」というBGMいやSEが授業開始後くらいの時間に流れる。なんなんなんだ。←しまった、また使った

  • 2004年 7月12日 月曜日

    選挙。政権交代には至らないも、野党(というか民主)がオセオセになったようで。次の選挙ではあるいは・・・

  • 2004年 7月11日 日曜日

    一票を投ずる。家に帰るとテレビは選挙速報ばかり。つまらないぞ。
    そこで選挙の日に視聴率をとるためのよい作戦、1.選挙なんて何のその。お笑い番組4時間スペシャル、 2.選挙落選者メインの中継とインタビュー、 3.ビートたけしのTVタック○(T朝)放送
    唯一NHK教育で舞台演劇をしていたので、仕方なく見る。こうなるとどうしても何か見ないと気がおさまらないようだ。意外とこれがオモシロイ。

  • 2004年 7月10日 土曜日

    明日は選挙。バイト前に行かないと時間がなくて投票いかれないので、朝起きれたら国民の権利を行使することに。

  • 2004年 7月 9日 金曜日

    朝寝坊、卓球できず。最近朝が起きれなくなってるかなぁ、生活リズムを変えねば。「リズムを変えるぜぇっ!」
    W條先生の息子さんのSくんが歌ってた(?)「うぉーおーっ、おっ!おっ!おっ!」の謎が解ける。
    笑金、ヒロシ登場。個人的に好きです。「固く結びすぎてほどけません・・・」

  • 2004年 7月 8日 木曜日

    1時間だけカラオケへ。なんなんなんだ。

  • 2004年 7月 7日 水曜日
    • 星空
      私の妹
      呪われたものたち
      星よ  お前は死だ
      冷えきった光だ

      雷の孤独
      ついには人間の不在
      私は記憶がなくなる
      荒涼とした太陽が
      名前を消す

      星  私は星を見る
      その静けさがこごえあがらせ
      狼のような叫びをあげる
      私は仰向けに地面に倒れる
      星は私を殺し  私は星を見抜く (無神学大全・ニーチェについて 好運への意志/バタイユ)

      七夕。過去五十年間で、7月7日が晴れたのは18回なのだとか。和メルヘン
      中国四川省で、スイカ早食い競争。1位は2分間で1.3キロをたいらげたのだとか。さすが中国。記録もすごいが大会の存在自体が中国的だ。制限時間が二分というのも中国的だ。

  • 2004年 7月 6日 火曜日
    • That's all right mama, just anyway you do! (That's All Right/エルヴィス・プレスリー)

      卒論演習ラスト。3年生のKさんとT稲君。Kさんはやはりウィトゲンシュタインの『青色本』から、痛みの話。この中期の文法理論あたりは、やはりソシュールを意識したくなる。でもあまり不用意な発言は先輩につつかれるからやめよう。T稲君はロールズ。ぼーっと聞いてるだけ。。。おっと今W條先生に呼ばれたような?「…K君(私)は寝てるからとばそうか…」うん?起きてるぞっ、あれ、ヨダレが。。おおっ、なんか若干記憶が無い、いや、寝てたのではない…こともないか
      ここのとこずっとカラオケなど行っていないからなぁ、楽しみだ。何を歌いましょうかね♪
      昨日7月5日はプレスリーが初収録を行って50周年なんだとか。それで全米のラヂオで一斉に「That's All Right」を流したんだそうな。昨日私が大学から帰る時に車内で同曲を聴いていたのは、なんという偶然か。あるいは・・・

  • 2004年 7月 5日 月曜日

    カント演習。非常勤のM田先生が、永井均について「紙屑をたくさん出してる人」と述べる。おぉっ、最近のお笑いの傾向ではないが、けっこうな毒舌っぷりで。しかしそういえば、最近なぜに毒舌漫談がウケているんでしょうか、う〜ん、不景気と関係あるのかな。個人的に嫌いじゃないですが、洗練されていないネタが多いのはレベル低下の印象を受けるぞっ。

    • 春過ぎて  夏来るらし  そりゃそうだ
  • 2004年 7月 4日 日曜日

    夜、勉強の休憩のつもりでノア中継を見る。うっかりウインブルドンが気になってその後結局試合を最後まで見る。テニスを見ても卓球の刺激になる〜。それからカントを少し。もう眠いので寝ることに。

  • 2004年 7月 3日 土曜日

    バイトの給料が入る。あぁこれで金欠から解放され・・・ない。今月既にピンチー。

  • 2004年 7月 2日 金曜日

    ここにきて古代ギリシャが学びたくなった。とか、最近思っていたり。もちろんニーチェがらみですが、ソクラテス以前、あるいは少なくともアリストテレス以前の哲学(自然学?)との関わりが強く意識されるところであり、それが現代フランスの思想の源流をなしているように思えるのである。ニーチェが「根本誤謬」などと言って騒ぎ立てていたものが、そこに見出せるのではないか、などなど、思うところが多いのであります。

  • 2004年 7月 1日 木曜日
    • 生成が一つの大きな輪環であるとすれば、いずれのものも等しい価値をもち、永遠で、必然的である。――然りと否、愛好と嫌悪、愛と憎との相関関係すべてのうちには、生の特定類型の或る遠近法が、関心が、表現されているに過ぎない。すなわち、それ自身では、存在するすべてのものは然りと言っているのである。 (権力への意志 第二書/ニーチェ)

      どうも僕は演習の発表等が常に重なる運命にあるようです。というか、その辺要領が悪いのでしょうね。そんな運命を愛してゆくわけです。
      上記のニーチェの箴言、素晴らしくいい文章です。原文を読んでるとなおよいです。――魂の高き音調。
      7月になりました、早いものです、いやとにかく暑い。500mlのコーラばかり買っている気がします。策略にはまっている。。。
      さて七月は頑張って書いていこう。多分。

  • 2004年 6月15日 木曜日

    木曜日は永遠回帰の日〜☆第二の側面、倫理的選択的思想としての永遠回帰。能動と反動、肯定と否定。Kraft und Macht わかるような…しかし何て説明するのか、これを。。。基本的に「わけのわからん人(ニーチェ)のわけのわからん思想(永遠回帰)を、ちっとは分かるものにする」というのがテーマなのになぁ。

  • 2004年 6月14日 水曜日

    倫理学演習―参加者が少ないためにすぐ終わり。O方さんは来週発表のための勉強が忙しいみたい。だけど自動車学校の方がより忙しいようですな。てか、はようとっとかにゃぁ。

  • 2004年 6月13日 火曜日

    卒論演習無事終わりました。レジュメもキチンとできたし☆満足満足。――でもW條先生以外からの質問が来なかったのが。。。説明が悪いのかなぁ。   「差異」の多様性の問題、時間の以降の問題が以前課題として残る。思考のテンションがハイを持続中なので、このまま突っ走ってもいいかも。

  • 2004年 6月12日 月曜日

    週一回の更新になりつつありはしないか?ぃゃぃゃ、これには我が家のネット環境が深く関わっているのだ。というか、環境も何も、家オフラインなんだもの。FDに書き溜めといて、更新は常に書庫PC。たまに回想録と化す。   明日は卒論演習発表。レジュメがちゃんと出来ればいいけど。。。そもそも説明を理解してもらえるかどうかがポイントだなぁ。今回の発表はとりあえず、宇宙論的、物理学的教説としての永遠回帰(ドゥルーズをベースに)について。ハイデガーは思ったより当てにならんじゃないかっ!むぅ

  • 2004年 6月11日 日曜日

    オリックス−バッファローズ合併?!近鉄ファンの友達(大阪人)は、はたして何ていうだろうか。    僕はO型です、大らかです、日本では二番目に多いです、でも世界ではイチバンらしいです。それって「普通」ってことなのかしら。大らかさの普遍を類似性唯名論で説明するなら、そのパラダイムとして使えるかも(笑)ほほっ

  • 2004年 6月10日 土曜日

    バイトでミステイクーっ。へこみ。でも立ち直りが早い。そこらへんディオニュソス的(本来の意味から外れてるし)みゅん

  • 2004年 6月 9日 金曜日

    ベトベトと永遠回帰(パクリ?!ノーノー、ワタシ反則シテナイヨ)。デュルケムさんを読もう、と思ったが、思わぬ障壁が。がぅ

  • 2004年 6月 8日 木曜日

    来週が卒論演習の発表なので、その準備というか議論出来る内容をだしとかねば。木曜は講義がないので、一日使ってニーチェ・ニーチェ・ニーチェ。おぉ、すべての存在がその姿を露呈してゆく。。。これもまたディオニュソス的?!

  • 2004年 6月 7日 水曜日

    倫理学勉強会。A山君の「他者論」、他者の中の自分に絶望を見るサルトルに、救いの手を差し伸べんとする試み。うーん、「倫理学」ぽい。『存在と無』読まなきゃ分からない部分が。。。さて次回から何するかな。

  • 2004年 6月 8日 火曜日

    卒論演習、今日はN々村さんのデカルト第六省察云々と、K部さんの機械論&決定論。第六省察は物理的事物の存在証明だが、証明の中盤ポイントのはずの部分が何ともあやふやな感じだ。デカルトはこんなのばっかり。感覚に対する懐疑と、夢に対する懐疑が論文の焦点かなと。K部さん、演劇とドラマを(つまりシナリオが存在する活動空間を)題材に話をふくらませる。だが役者側と見る側とのレヴェルの違いを混同してしまいがちだと思われ。決定論するなら近世がいいなぁ。。。   哲倫宗プロフィール完成。新室長のカワイイ表紙が、何とも哲倫らしからぬ感じで(笑)   ウキウキ放送局V、以前は深夜枠に移されながらも放送してましたが、今はもうやっていないはずです。あるいは復活しているかも?   「水谷さんと行く夏コミ・バスツアー」は健在のようですが。   U野先生の集中講義は8月の第一週になる模様。まだ決定ではありませんが、そうなるとオープンキャンパスとは重ならなくなりますね。W條先生宛てのメールでは「『神学政治論』購入のこと」と書いてあったようです。詳細が決まり次第、掲示板で告知します。

  • 2004年 6月 7日 月曜日

    O方さんが昼からずっと書庫でお勉強してる、すごいなぁ。  来週の卒論演習でもう二回目の発表が回ってくる。やばい何も出来てないよ。とりあえず、ハイデガー先生ぃ〜っ!   エスレーグレット。。。

  • 2004年 6月 6日 日曜日

    のんびり休暇。勉強何もせず。あ、ハイデガー著の『ニーチェI・II』が届いた。嬉しいけど、これ来週までに読まにゃーっ(汗)  ペコ。スクリーンでも河にダイヴしてたしね、また飛びたかったんでしょうね。(スクリーンで〜 と書いたが、自分『ピンポン』ビデオで見たんだった)   久しぶりに全日?ノア?を見る。Jr.タッグがかなりおもしろかった!!最近は全然見てなかったけど、やるじゃんけ。   勢いでPRIDEも見る。「猪木・アリ状態」はもう古いのだろうか、最近グラウンドでの打撃も多いし(RINGS時代はあまり見られなかった)。

  • 2004年 6月 5日 土曜日
    • しかも時間は、この宿業がはじまったその凶日をもとにして、―キリストの最初の日をもとにして、数えられているとは! なぜむしろその最後の日をもとにして数えないのか? ―今日をもとにして?―すべての価値の価値転換! ・・・ (反キリスト者/ニーチェ) 

      今日もいい天気でした。もう梅雨あけたのかな(笑)  月曜の授業のために、デュルケムを読む。

    • 形而上学というものも、真理というものも、何と女性的であろうか。 ―我らが血と肉に栄光あれ!
  • 2004年 6月 4日 金曜日

    O村研究室ドイツ語、相変わらずの展開。あまり学習にならんような。。。いやいや、それは個人の意欲次第!頑張りますよっ。  梅雨入りの発表があってから、ここのとこ晴れの日が続くのはどういうことなのでしょうか。ま、悪いことじゃないですが。

  • 2004年 6月 3日 木曜日

    今日は10ヶ月ぶりくらいに高校の部活に参加した。明日は筋肉痛だろうなぁ、と思いつつ、既に背中と腿が・・・  医学部で聖書研究会に参加。その後「イタリアの台所云々〜」で、ペンテコステ系の友達と2時間ばかし語り合う。 この間NHKドイツ語会話のテキストの6月号を買ったのだが、間違えてラジオ版を買ってしまった。むなしい。

  • 2004年 6月 2日 水曜日

    倫理学勉強会、発表者O山君不在のため次回以降のことを決めて終了。今後どんなふうに進めたらよいものか検討中。  アリストテレスの演習(分析論後書)のために、O方さんと勉強。3格ってどんなやつだっけ・・・前書のはじめをちょろっと見る。出てくる例がまともでなくて、その意味で面白い。

  • 2004年 6月 1日 火曜日

    卒論演習、今日は3年T稲くんと、再び院生N本さん。もう二周目に突入か、やばいぞっ。 ロールズはやっぱり退屈な・・・いやいや、趣深いですね、はい。  永井独我論の批判検討にあたり、三浦俊彦登場。議論がかみ合っているのかいないのか。

  • 2004年 5月31日 月曜日

    5コマ目カント演習が珍しく長引く。Kさん、家が近いのでマイカー(アリアドネ号←嘘)で帰る。論理学の話をちょこっと。先輩らしいことを言ってみたりもしたが、論理学実はあまり知識なかったり。勉強しておきますー。

  • 2004年 5月30日 日曜日

    演習の準備で、久しぶりに英文を読む。バイトの後でしんどいです。

  • 2004年 5月29日 土曜日

    最近、しばらく読んでいたユングを読んでいない。。夢の話を読みながら夢を見るのは、勉強になってるようななってないような。いや、ならないでしょ。

  • 2004年 5月28日 金曜日

    卓球で野々村さんに勝つ。すばらしぃ。スベスベツルツルだったぼろラバーが、最近の高湿度により潤いを取り戻したか。W條先生とバーンズを読むため、ドイツ語はお休みに。

  • 2004年 5月27日 木曜日

    トモアリ、エンポウヨリキタル。中学の同級生が教育実習のため帰省。今日一日、山口観光に。神奈川のどこぞの大学にいるらしいが、都会っ子ぶっちゃあいけませんよっ。所詮山口っ子ですから。――残念!

  • 2004年 5月26日 水曜日

    欠落。

  • 2004年 5月25日 火曜日
    • 語の意味とは、言語ゲームにおけるその使用である (哲学探究/ヴィトゲンシュタイン)

      今日の演習は、KさんとA山君。Kさんは例によって永井氏の『ウィトゲンシュタイン入門』を要約、簡単な説明をするにとどまる。まだ興味が定まっていないようで。A山君は他者論。サルトル『存在と無』をベースに、サルトル―U野先生とは異なる見解を示したいようだ。ポール・リクール『他者のような自己自身』を読んでいるとのこと。新書のラカン入門を持っていたので、悪評であることを告げておきました(笑) 他者が見る「私」を<私>は理解できないか、という問題。

  • 2004年 5月24日 月曜日

    カント演習。先週担当で終わらなかった部分を今日発表。しか〜し、担当があたってるのに来ない方のために、来週も僕が担当に。なんと三週連続じゃないですか。時間があればようですが、どうでしょうね。  過ぎ去りし日々→去り行く日々に改名☆独訳が間違いだったのではなく、和訳が間違いだった、ということにしましょう(笑)ご指摘ありがとうございますWakiさん。(←NHKドイツ語会話みたいだ(>_<))

  • 2004年 5月23日 日曜日
    • 子どものように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。 (ルカによる福音書)
  • 2004年 5月22日 土曜日
    • 倫理的に間違えていることは絶対に理論的にも間違えていると信じています。そう信じることが、理論家の倫理だと思います。 (生殖の哲学 第一章/小泉義之)
  • 2004年 5月21日 金曜日

    えっ、今日O村研究室ドイツ語ないんですか。。。ウーム。 ドイツ国際交流DAADの方の講演を聞く。独文のH田先生翻訳。内容はさておき、生ドイツ語が聴けてよかった。

  • 2004年 5月20日 木曜日
    • Roll Over Beethoven! (Roll Over Beethoven/Chuck Berry)

      Little RichardのCDが届く。Chuck Berryのあの名曲がカバーされてるし、念願のOoh My Soulが聴ける!感激!!

    • 角度の異なるふたつの解釈は、その先の交差点が近くにあるためより明確に見えるだろう。しかしこの角度が近しいものであるならば、―先は遠いかもしれない。
  • 2004年 5月19日 水曜日
    • 悲しみとは人間がより大なる完全性からより小なる完全性へ移行することである。 (エチカ 第三部 諸感情の定義/スピノザ)

      今日の勉強会はO方さんの発表。スピノザの感情論。自己保存に向かうコナトゥス(努力)を中心に学びあう。ドゥルーズが大変役に立つので(第二章・第四章)、改めて感心。『ニーチェと哲学』を必死で読んだ甲斐(笑)あって、わりとよく分かる。デカルトとの違いが随分はっきりしてきた。

  • 2004年 5月18日 火曜日
    • 「神は死んだ、―けれど人類の持ち前の然らしめるところ、おそらくなお幾千年もの久しきにわたり、神の影の指し示されるもろもろの洞窟が存在するであろう。―そしてわれわれ―われわれはさらにまた神の影をも克服しなければならない!」(『悦ばしき知識』第三書/ニーチェ)

      永らく更新されていませんでしたが、ようやく更新に着手できます。すみませんでした。今日の5コマ目に、卒論研究の初回発表がありました。知ってのとおりニーチェ論ですが、具体的には永遠回帰思想の現代フランス思想的解釈を試みるという形で進めています。ドゥルーズの『ニーチェと哲学』母体にしつつ、という感じではありますが、P.クロソウスキーやG.バタイユ(ともにProf.Uに反対されていたが)を参照していますので、かなり異色な内容です。とにかく初回発表終わってよかった。

  • 2004年 4月26日 月曜日

    ルサンチマンI氏参上、倫理学講読に飛び入り参加。金曜の歓迎会には参加されるとのこと。しかし今回参加人数が多いぞ。。。どうしようか。

  • 2004年 4月25日 日曜日
    • 虚無は、私にとっては、一個の存在の限界を意味する。 (ニーチェについて 補遺/バタイユ)
  • 2004年 4月24日 土曜日
    • 生も死も、ともに永遠の中の煌めきである。それは一瞬であり、しかしそれ自体永遠をあらわす。
  • 2004年 4月23日 金曜日
    • 何時も何かが違う 生きて行くだけの為に  こんなに犯した罪を 誰も背負いきれない (LOVE WAY/尾崎豊)

      卓球。いきなり終えなきゃならなくなったために不完全燃焼だった。  ショーペンハウエル。『自殺について 他四篇』、カント以外の何ものでもなく。妙な対話篇アリ、いまいち狙いがわからない。  ウア・ギーター。内容が取れない、岩波のでも買ったがよさそうだなあ。  デュルケム。ややカント的か。  EVA9巻を買う。カヲル登場、それだけ。

  • 2004年 4月22日 木曜日
    • しかし偶然の瞬間としてのわたし自身を再び意志することは、私自身であることを一度限り決定的に放棄することにほかならない。 (ニーチェと悪循環 永劫回帰の体験/クロソウスキー)

      今日は一日永遠回帰思想について思いを巡らせていた。「最高の肯定の方式」は、同一性をどこまで「解体」可能か?しかし次のようなニーチェの言葉は何であろうか。「・・・しかし私はインドでは仏陀でしたし、ギリシアではデュオニュソスでした。・・・ひょっとしたらリヒャルト・ワーグナーであったかもしれません。・・・私は十字架にもかかったことがあります。」   映画「IDENTITY」において、あのモーテルは精神の内部の仮想世界であり、登場人物は「同一人物」にあらわれた「複数の人格」であった。しかし本当にそう捉えられるべきなのであろうか。複数存在している「私」を、「本来は一つであるべきもの」とすべきなのであろうか。しかし進むべき道はさらにその真逆であるのかもしれない。A=Aに差延を見出すならばあるいは。

  • 2004年 4月21日 水曜日
    • Love Way 言葉も感じるままにやがて意味を変える Love Way 真実なんてそれは共同条理の原理の嘘 (LOVE WAY/尾崎豊)

      「IDENTITY」のDVDを借りて観る。そうか、そういう話だったのか。う〜ん。人格の削除は殺人にはあたらないのか?   倫理学勉強会、Kさん。幼児の言語習得の話を持ってきた。別にそれをメインにしたいわけではないらしいが、U野先生の原理論の講義が関係しているようで。「生得的」なんていわれると話が終わってしまう。チョムスキーはよく知らないなぁ。

    • 「私」の数だけ世界があるか、あるいは世界の数だけ「私」があるか。
  • 2004年 4月20日 火曜日

    第一回卒論演習、N本&N々村ペア。N本さんは永井独我論の延長?というかすくい上げ?的な議論。でもよくわからない。永井独我論は出発点にそもそもの問題を含んでいるように思えてきたT中さんは特別な<私>などないと譲らず。白熱。  N々村さんはデカルト『省察』などにみられる「感覚」の問題。認識において感覚は知性の補助的役割をになう、のか?今回はデカルト解釈そのものが議論になった。「補助的」について問題を残した。

  • 2004年 4月19日 月曜日

    カント演習。というかこういうのは演習ではないと思います、と言いたい。でも面白いかも。とりあえず担当は終了。西洋哲学講読はNozikで"Conditions for Knowledge"というのを読んでいるようです。僕は同じコマでデュルケムを読んでますが。

  • 2004年 4月18日 日曜日
    • 我がうえなる星の輝く空と我が内なる道徳律とである。 (実践理性批判 結論/カント)

      カントはわりと読みやすいと(独文のテキストで)聞いたのだが・・・なんともクセのある文章だと思う。岩波の邦訳はずいぶん文法的には不誠実に訳されているなぁ。あ、ホームページ作成の作業が完全にストップしてた。。。4月中にはなんとかしたい。

    • 備える心無ければ、憂う心無し。
  • 2004年 4月17日 土曜日

    腕の付け根裏側あたりが筋肉痛に。普段使わないところなだけに簡単に筋肉痛になってしまった。しかしよほど使用頻度の少ない部位なのか、日常動作で痛いと感じることがない。デュルケムを読む。ソシュールについて少し調べる。Kさん、これは確かに簡単にはいきませんよ。。。

  • 2004年 4月16日 金曜日
    • あらゆる宗教はそのまま真実である。 (宗教生活と原初形態/デュルケム)

      今日は前期最初の卓球をした。そのせいでO村先生のヨーロッパ文化論(と称したショーペン&ニーチェ比較論)は正直眠かったです。ドイツ語の勉強は文照さん・T田さん組とすることに。ハイデガーからオットーに。う〜ん。 ネットで注文していた「ニーチェ事典」届く。感激!¥13000は正直高いけども、見てるだけでやる気が沸いてくる。お、文献紹介もかなりいろいろ書いてあるぞ、これはすばらしい。

  • 2004年 4月15日 木曜日
    • あなたの年は一日です。しかもあなたの日は「毎日」ではなくて、今日です。 (告白 第十一巻/アウグスティヌス)

      アブラハムとその息子イサクとの関係が、主(神)とその御子(イエス)との関係が連環しているという発見。創世記侮るべからず。『聖なる〜』はやっと4章に入る。差異の話など。そろそろ苦しくなってきたかな、自分が。

    • 主客関係――共有と優位化の反復。語られる以上は客が優位を得るのかということ。
  • 2004年 4月14日 水曜日
    • いったいわれわれは今神についてなにかを言ったのであろうか。何か神にふさわしいことを音声に表したのであろうか。いやむしろ、言おうと思っただけだと感じているにすぎない。 (キリストの教え 第一巻/アウグスティヌス)

      西洋哲学特殊講義に、23名もの参加者が現れた。正直驚きである。しかし一番驚いたのはW條先生ご本人であった。思わず言った「みなさん、ここは西洋哲学特殊講義の教室ですけど、間違ってきてませんか?」という一言は実に可笑しかった。内容は「唯名論」と「実在論」、アームストロング。初回から論理学的な話をしたので、次回は人数も少なくなっているでしょう。 倫理学勉強会第一回、イントロダクションというか、今後の進め方について話し合う。で、自由演習の形式をとることに。みんな卒論演習が不安のようだ。発表の順番を決めたあと、軽く西洋哲学史を。高校で倫理を受けていない人がいて、あまりの知らなさにちょっと驚き。次回Kさん、ソシュールあたりでまとめてくるとのこと。楽しみだ。 ニュース!3年生の研究室歓迎会を、4月30日の金曜に行うことになりました。U野先生もいらっしゃるので、山口近郊の方はゼヒ参加しましょう!

  • 2004年 4月13日 火曜日
    • 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ。 (平家物語 祇園精舎)

      室長を3年生に交代しました。宗教学のS松さんです、文照さんは知っているかと。さて退いた僕は明日から黒子に徹するかな。黒子といっても『豪血寺一族』シリーズなみの目立ちな黒子ですが。でも少し寂しいです。 倫理学勉強会発足!上野先生が阪大に移られて、倫理学の講義をしてくれる先生がいないため、倫理学の3、4年生で勉強会を開くことになりました。すばらしい。―とはいえ具体的に何をしていくか決めてないのですが…。実は3年生の能力アップが狙いだったり。

  • 2004年 4月12日 月曜日
    • 我が上なる星の輝く空と我が内なる道徳法則と (実践理性批判 結論/カント)

      ニュース。大学会館の紀伊国屋が撤退してなくなっていた。 生命倫理学の先生はパワフルな感じで、初回から時間オーバーする話し様。 倫理学演習は…参加者少ない。実践理性批判・純粋理性批判を独文で読んで発表。人数が減らなければよいですがね。僕としては独語学習ができて助かりますが。

    • インモラルの壁――
  • 2004年 4月11日 日曜日
    • 最小の幸福でも最大の幸福でも、幸福を幸福たらしめるのはいつもただ一つ、それは忘れることができるということ、あるいはもっと学者っぽく表現するなら、幸福が続くかぎり非歴史的に感じる能力である (反時代的考察/ニーチェ)

      明日から前期の講義が開始です。春休みも短かったなぁ、この1年は本当に頑張らねば。倫理学の講読と演習は、それぞれ非常勤の先生がされます。講読は・・・生命倫理。がっくし。演習はカントの『純粋理性批判』など。宗教学も取っとこうかな〜

    • 想像力と健忘。
  • 2004年 4月10日 土曜日
    • アポロン的意識は皮膜のようにこのデュオニソス的世界を覆い隠していたに過ぎない (悲劇の誕生/ニーチェ)

      書くことがない・・・というのは本を読んでないからだな、勉強せねばっ。一日バイトしたら勉強が手につけられなくなるのがよくないのだが・・・

  • 2004年 4月9日 金曜日

    今日は人文オリエンテーション。午前中にあった人間論でのオリエンテーションの参加者は…。 さて気を取り直して、18時から2年生の歓迎会@ボーノ。最後は意外に盛り上がる。なんなんなんだ。ゴールデンウィークにU野先生が山口に帰ってこられる予定らしいので、それにあわせて3年生の歓迎会をしたいなぁ。

    • 人間が人間となるために――倫理と消尽
  • 2004年 4月8日 木曜日

    春休みのO村研究室も今日でおしまい。前期が始まってからどうするかが未定になっている状態なのだ。。う〜ん、参加者が減る傾向にある。よい傾向だ(!)明日はオリエンテーション。みんなくるのだろうか。研究室のホームページを立ち上げる準備をしているのだが、新学期には間に合わなかったなぁ。

  • 2004年 4月7日 水曜日

    今日も恋愛についての話をする。しかし客観的だと冷たいやつだと思われるようですネ。恋愛関係にも「語りえないもの」(?)があることが判明。語ることでその内容がそれ自体変容するという次元のものがあるっぽい。

  • 2004年 4月6日 火曜日
    • 感情を統御し抑制する上の人間の無能力を、私は隷属と呼ぶ。 (エチカ第四部/スピノザ)

      永遠回帰についてO村先生と少し話す。「僕はフランス(の思想)は嫌いなんだよね」とひとこと。バタイユはどこにいっても受け入れ難いもののようだ。例によってO村先生は「遊戯」こそニーチェの哲学のキーポイントだというようなことをおっしゃられていた。僕としては。。。

    • 生の対義が死であるならば、我々はどうして生きていられよう
  • 2004年 4月5日 月曜日
    • 見つけ出すことができたんだ。 何をだい? 永遠さ。 それは、太陽と いっしょになった海なんだ。 (ランボー)

      久しぶりに長電話。恋愛観についていくつか質問を受けたのだが、恋愛観というものは個々のパースペクティヴが如実に現れるものだと感じた。 そういえばニーチェの恋愛論みたいなものを書いている人がいるが(白鳥春彦)、この人のニーチェ解釈はひどいものである。あ、アリストテレスの恋愛論も書いてるのかぁ、この人。

    • 恋愛観を押し付けることで ひとつの恋愛論が生まれる 
  • 2004年 4月4日 日曜日
    • 悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。 (マタイの福音書5章4節)

      親が「極楽」について聞いてきた。何か本でも読んだのかと思ったが、どうも自分の死後が気になるようだった。 論議をするわけにもいかなかったのでそれとなく話をして終わったが、自分はともかくとして人に対し「死」についてどう語ればよいのだろうか。

    • 死後を恐れて生前を恐れず
  • 2004年 4月3日 土曜日
    • 欲望が虚無を対象にしていることは、いかなる《供儀》においても同じことである。 (無神学大全 ニーチェについて 第二部/バタイユ)

      今日から土日の昼にバイトすることになった。車の維持費と本にお金がかかるので・・・。ただし今日明日は夜まで働くことに。帰ってバタイユ続きを読んでいが、つらい、眠い。というわけで、月曜からがんばろう。

    • ゼノンに任せては、ドミノは一向に倒れない
  • 2004年 4月2日 金曜日
    • 畏怖は人間の最上の部分だ。世がどのようにこの感情を評価しようとも、彼の心は深く動いて、巨怪なるものを感じる (ファウスト第二部 1/ゲーテ)

      今日もいつものO研究室でハイデガーを読む。ようやくスピードが上がってきたか。「聖なる〜」は前半はほとんどバタイユの「エロティシズム」の読み直しという感じであった。所どころハイデガーの引用が現れたりするが。さて永遠回帰とどう関わってくるか… 

    • 桜が散ってゆく…花弁を見つめよ!全体の一部ではない花弁として―
  • 2004年 4月1日 木曜日
    • 平和な状態にあるとき、好戦的な人間は自己自らに襲いかかる。(善悪の彼岸・七六/ニーチェ)

      夜にしていた居酒屋のバイトをやめ、4月から学業に専念する体制が整った。 読みたいと思っていた本を徐々に読みすすめていきたいと思う。 まずは「聖なるものと〈永遠回帰〉」(湯浅博雄 著/ちくま学芸文庫)から。 卒論のテーマにかなり近い内容だと思われるので、叩き台としては好都合の著作であろう。 読み終えたらうまくいけば解説をアップしたいところ。 今日はO研究室の花見があった。 O研究室ではハイデガー"Der Satz vom Grund"をドイツ語学習のために読んでいるが、今日はさすがに休みとなった。

    • 桜という花は何とその全体性の再建をあらわしている花であろうか