ギャラクシアン3 アタック・オブ・ザ・ゾルギア / Galaxian3 attack of the zolgear


  • ナムコ/namco
  • 業務用ビデオゲーム
  • 1993.9-1994.8
  • 効果音制作(マルチチャンネル、LDリリース)、声優契約、ボイス収録、加工

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  • 初めてのMAで、一晩徹夜して、何一つ、本当に全く何も作業が進まなかったという恐ろしく辛い思い出がある。
    • やらなくてはいけない事が多過ぎて、でも何をどうやって良いのかまったくわからず、当時社内スタジオにあったDAWであるフェアライトMFXのコンソールを前に、一人で、まさに「手が出ない」一夜だった。
    • 冗談抜きで、あの夜を思い出すといまだに身震いがする。スタジオという完璧な密室という環境も手伝って気が狂う寸前だったのだと思う。
    • その後、作業量云々では無く、精神状態を正常にするため、後輩だった佐々木君にヘルプに来てもらった。彼が強烈な楽天家だった事も手伝って、まあやることは沢山あるが焦ってもしょうがない、と言う事を認識し、ゆっくりと作業をすすめていった。彼には非常に感謝している。
    • フェアライトも導入直後だったので動作不良が多く、二日に一回は代理店の方に来てもらい対応してもらうので、当然作業の進行に支障が出るのだが、あの夜の辛さに比べれば全くたいした事がないと思い、余裕さえ感じていた。
      • これに限らず、その後、様々なプロジェクトにおいて大なり小なりトラブルに見舞われたり、また、製作過程で精神的に追い込まれたりしたが、あの夜と比べたら何でも無い、と落ち着きを取り戻せるようになった。これは大きな収穫だったと思う。
  • 非常にゆっくりしたペースではあったが、作業を重ねる事で、通常のゲームサウンド製作とは違う、MAならではの面白さを感じてきた。
    • ゲームサウンド製作の場合、音を準備してから、ゲーム機上で結果が出るまで作業上どうしてもタイムラグがあるのだが、MAの場合は今そこにある映像に音をつければ良いため結果が出るのが早い。そのためサウンドを構築していく実感が強かった。
    • 面白みを感じ始めてからは作業自体も格段に速さを増し、結果的に我々の担当する作業はスケジュール通り完了した。
      • とはいえ締め切り直前に今まで見たことも無かった大爆発シーンが画面いっぱいに展開されていたのを見たときには気が遠くなったが。
    • この当時サウンドデザイナーと人気を二分していた波形編集ソフト、アルケミーで効果音をいじくり回して喜んでいた。
      • 特に、ある波形の形を、別の波形に強引にあてがうモードが好きだった。例えば爆発音をこのモードでクリップボードにコピーし猫の鳴き声にペーストすると猫の鳴き声が爆発音のエンベロープで音量変化するようになる。
    • 自分が作った効果音で一番好きだったのは最初の中ボス(名前を忘れた)の飛行音。これも当時のお気に入りのJD800で作った。ブオンブオンブオンという感じの、レゾナンスを利かせ、かつフィルターが閉じ気味の音。強烈に低音成分が多かったため、社内の試作室で試聴した際には部屋自体が共振するほど鳴り響いてしまい、ビビッて音量を削った。
    • 今考えると、筐体の鳴りを全く考慮していなかった事など、非常に稚拙なMAだったと思う。このおよそ10年後にスターブレード・オペレーションブループラネットを半ば強引に担当したのは、この雪辱戦の意味もあった。
  • 締めきり前日に余裕でプールに行く、というスケジュール、というか決意を大きく書いてスタジオに貼っていた。開発も終盤近くなると、煮詰まったサウンド以外のプロジェクトスタッフもよくスタジオに遊びに来ては、これに落書きしていったのが懐かしい。
  • このプロジェクトでは、外人声優を複数同時に呼んで収録を行ったのだが混乱を極めた。というのも外人同士で勝手に盛り上がってしまい収録に入れないのだ。これ以来、外人の同録は避けようと思ったほどだ。とはいえその後も外人声優の同録を経験したが、これほどひどい事はなかったが。
  • 最終的に楽曲とSE、ダイアログをミックスする作業は、フェアライトを持ち込み外部スタジオで行った。
    • ベイサイドスタジオだったと思う。この日に間に合わせるために作業を詰め込み過ぎ、ナムコ側のサウンドスタッフは朦朧としていたため、ほとんどエンジニアにオーダーできず、気が付いたらミックスが終わっていた、と言う状態だった。
    • 完了した朝、そのまま目黒のパイオニアに完パケを持って行った(LDのため)。今の会社がこの近くなので、時々通るのだが、その度にあの朝を思い出す。

佐野電磁業務履歴