資料庫?
孫権陣営が曹操との対決に全力を投入できなかったのは、孫権陣営が長期的な戦略に則って行動していたためであり、具体的には、長江沿岸地域の制圧と、南方地域を中心とした不服従勢力の鎮圧と領内統治の安定化の二つだったと思われます。そのため、赤壁の戦いは孫権陣営の先鋒である周瑜が曹操軍と戦った、いわば前哨戦であるということができると思います。赤壁の戦いの意義とその影響を考えるには、この孫権陣営の長期戦略を考慮に入れ、その中で赤壁の戦いを捉えなおす必要があります。(1)周瑜軍の規模が孫権陣営の総兵力を考えるとあまりにも小さいのではないか。
(2)荊州侵攻は九月であり、合肥の包囲は百余日かかったことを考えると赤壁の戦いはかなり短い期間で終結したのではないか。
(3)突如として現れる孫権率いる十万もの大軍はどこにいたのか。