人物紹介 / 魏延


魏延

劉備が荊州にいた頃に仕官し、蜀取り以降数多くの武功を立てた猛将。
テキストにも書かれている漢中太守就任は、周囲が張飛を任命するだろうと予想していた中の抜擢である。
演義では劉備軍参加以前は劉表・韓玄に仕えていたことになっている。

演義において仕官早々諸葛亮に「後頭部に反骨の相があるから斬れ」と言われるなど不仲とされているが、
史実では馬は合わないが互いに実力は認めている程度の関係だったらしい。
本気で仲が悪かったのは楊儀で、喧嘩になると魏延が剣で脅して楊儀が泣きつくということがしばしばで、
しかも両者とも外せない存在だったため諸葛亮の頭痛の種であったという。
(蜀が北伐を行う頃になると、五虎将をはじめ名だたる武官はほとんど没しており、魏延に頼らざるを得なかった)

勇猛で誇り高く、己の武勇に任せて傲慢に振舞うところがあったため、他の諸将・文官たちも魏延を敬遠していたという。
やがて諸葛亮が没すると、楊儀らは諸葛亮に予め命令されていた通り撤退を開始。
しかし魏延は、諸葛亮が危惧していた通り北伐の継続を主張。
かくして楊儀との対立は決定的となり、楊儀と魏延は互いに相手が反逆したと劉禅に上奏するが、文官たちはみな楊儀の肩を持ったため孤立。
哀れ魏延は反逆者の烙印を押され、三族皆殺しという結末を迎えてしまうのである。
また、諸葛亮が死んだ直後に「自身の頭に角が生える」という夢を見ており、これが自身が斬首される暗示になったという逸話も存在する。
(「『刀』を『用』いると書いて『角』と読むため、それが頭にあるということはそういう意味である)

なお、「魏延=裏切り者」の認識は後世にも残されていたようである。
中華人民共和国において楊尚昆が不安分子として扱われると毛沢東は「楊尚昆は魏延だ」と評したという説がある。
その墓所も何度か壊されてしまったと言われるほど中国では忌み嫌われてきた人物であるが、
日本では関羽・張飛にも近い「劉備にのみ絶対の忠誠を誓う武人」という扱いをされることも多い。
人形作家の川本喜八郎氏も「悪役に描かれ過ぎている。曹操の元や、蜀の全盛期で力を発揮できていれば(後世のように酷く評価されなかっただろう)」と評している。

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