張魯の軍師として知られる人物。
正史では漢寧王を自称しようとした張魯を、「すでに十分な独立勢力を築いているから必要ない」として諫めている。
曹操が漢中へと進軍してきた際、自分から降るのではなくまず一戦交えるべきと進言したのはカード裏の通りで、
果たして張魯と共に一旦抵抗してから巴中へと後退すると、曹操は降伏勧告の使者をよこしてきたため、改めて張魯・閻圃は曹操に降伏。
この読みの鋭さは曹操の耳にも届いていたようで、曹操からは張魯と同格の待遇を与えられ、
曹丕の時代には朝議の席で礼遇されるほどの身分にまでなっていたという。
演義では正史とは正反対に、張魯には劉璋を倒し王を自称するように進言している。
曹操との戦いでは龐徳を起用するよう提案し、賄賂を受け取った楊松が龐徳を処刑するよう張魯に讒言すると、閻圃は龐徳の弁護に回っている。