袁紹の長男。ただし父は三男・袁尚を溺愛していたため後継者として扱われず伯父・袁基の養子とされている。
強硬・頑固で殺伐とした性格を父に疎まれたと言われるが、史料には「恵み深い人柄だった」という記述もあるため、
袁尚に比べて人格面で特段劣っていたというわけではないようである。
一応、袁基の養子として治めていた青州の統治は上手く行かず、政治力に劣っていたと考えられた可能性はある。
(もっとも当時の青州は無法地帯であり、袁紹自ら治めれば上手く行ったという保証も無いのだが)
劉備が袁術派から袁紹派に鞍替えするにあたり茂才に推挙した相手でもあり、
その縁もあり曹操から離反して徐州を再奪取するも曹操に攻められ壊滅した劉備を真っ先に受け入れている。
袁紹が臨終にあたり後継者を明確に指名しなかったことから車騎将軍を自称して黎陽に駐屯。郭図、辛評らに支持される。
袁尚との対立で不利になると曹操と組み、証として娘を曹操の子・曹整と結婚させる。
しかし曹操が鄴を包囲している間に袁尚の領地を攻め取ると盟約違反として娘を離縁され同盟を破棄されてしまう。
ついには曹操に攻め滅ぼされ、曹純に「お前を富貴にしてやれるぞ」と命乞いするが無視され、斬首された。
(演義では曹洪に討ち取られている)