袁紹、袁術ら汝南袁氏の本家筋に当たる陳郡袁氏に生まれた文官。
劉備によって茂才に推挙された後、袁術に仕える。
袁術に対しては常に正論を以て対したことで厚遇されるも、驕ることなく謙虚に振る舞っていた。
呂布との戦いで袁術が破れた際に捕虜となると、そのまま呂布に仕える。
呂布が劉備と仲違いした際に劉備を罵倒する文書を書くよう要求されるも応じず、
ついには剣を突きつけて脅されても断り続け、呂布に諦めさせている。
呂布の死後は曹操に仕え、最終的には魏国の御史大夫まで昇進する。
曹操存命中に病没しており、その死は曹操を嘆き悲しませた。