言わずと知れた三国志演義の主人公。「昭烈帝」と諡される。
膝まで届く腕に自分で見える程の大きな耳という特徴的な風貌とされる。
日本においての演義では基本的に聖人君子として描かれているが、史実においては侠客肌で結構乱暴な人物だったという。
本国の演義でも人肉を食した等の強烈なエピソードが記されている。
人肉食のエピソードは吉川三国志にもあるが、あまりの違和感に作者本人が文中に乱入して説明するほど。
(そのため史実で自身がやった暴力行為が演義では張飛の役目に回されたりしている)
演義での聖人君子的な人柄や夷陵での敗北から戦下手とのイメージがあるが、黄巾の乱での義勇軍としての活躍に始まり、陶謙・袁紹・劉表と言った当時の群雄英傑の一角と呼べる人物に戦力として迎え入れられ、各地で数々の戦場を経験し武功を挙げ、最終的には蜀を乗っ取り魏・呉に並びうる勢力を築き上げるまでに至っている。
演義などではその功績のほとんどが関羽や張飛、諸葛亮などの部下の働きとなっているため印象が薄いが、指揮官として十分な才があったと言えるだろう。
本作での一騎打ち勝利時の「戦下手ってのは、大きな誤解だぜ」というセリフもその辺りを表していると言える。
(むしろ歴戦の闘将という実績と自負があった故に、年少の陸遜や孫桓らを侮って夷陵の惨敗を招いたという見方もできよう)
「中山靖王劉勝の末裔」を称していたとされるが、この劉勝とは前漢の6代皇帝・景帝の子で7代皇帝・武帝の兄にあたる。
特別な功績を残したわけでもないのだが、ものすごい子沢山で120人以上の子がいたという。
実際に劉備が皇族の末裔であった証拠はなく、正史では事実と認められてはいない。
しかし前述の通り子沢山であった劉勝の末裔はごまんといたため、全くの嘘であるとも言い切れない所でもある。
劉表の客将時代はほとんど実戦機会が無く馬に乗ることも少なくなってしまい、太ももに無駄な肉が付いてしまいつかめる程になってしまったことを嘆く時期でもあった。
これが「髀肉の嘆」という故事成語の元だという。
また、周瑜が劉備を殺すために仕組んだ孫尚香との縁談が、いつの間にか正式に成立した事から、「嘘から出た実」的な意味合いで「劉備が婿入りする」という諺も存在する。