漢の高祖・劉邦の末裔である劉繇。1弾武将でなければ漢軍所属だったかも知れない。
演義では孫策の咬ませ犬とされ、凡庸なイメージがぬぐえない人物。
一方で正史では、袁術の侵攻を何度も防いでおり、優れた人物とされている。
若い頃には宦官一族の不正を上奏して罷免させたり、人物を慕って多くの名士が身を寄せるなど、人格者でもあった。
太史慈を使いこなせなかった点も、当時の人物鑑定の権威・許劭が太史慈を酷評しており、それを気にしていたからとされる。
なお許劭は曹操を「治世の能臣、乱世の奸雄」と評した人物であり、その評価は全土に影響力を及ぼすほどだった。
一方の太史慈はまだ士官して間もなく、重用することに慎重になったのも仕方ない面がある。
太史慈の前には同じように酷評されていた窄融を用い、見事に裏切られたという苦い経験もあるのだから尚更だろう。
なお、彼の死後遺族は孫策によって丁重に保護されており、長男の劉基は孫権が驃騎将軍に就任した後に仕官し、重臣となっている。