知勇兼備で劉備や諸葛亮から篤く信任されていたにもかかわらず、自身が送るべき兵糧が滞ったせいで
撤退せざるを得なくなった諸葛亮に撤退の責任をかぶせようとしたあげく自筆の文書を出され矛盾を指摘されて失脚し
そのまま返り咲くこともできず亡くなって、小才の回る不実の人として名を残すことになってしまった人物。
天才諸葛亮の弱点の一つとして『人を見る目がない』というものがよく挙げられるが
その筆頭である馬謖、自身の後継者として蜀を守れなかった姜維らと並んでよく槍玉に挙げられてしまう人物の一人。
しかしこの人の場合は、劉備から一切信頼されていなかった馬謖とは違い、
蜀科(蜀漢の法律)制定から反乱鎮圧まで文武に渡って十分な実績を残しており、
劉備からも臨終に際して直々に、諸葛亮と共に蜀と劉禅を頼むと遺言されている。
才能も実力も十分すぎるものを持ちながら、陳震からカード裏にも記される「いい加減な性格」と酷評される通り、人格面の難点が己の名を汚してしまった男である。