正史には登場せず、架空の存在と考えられている。
演義では、フレーバーテキストの記述の他にも、同じく張魯の家臣である楊柏(正史では楊白)の兄という肩書も持っている。
演義での楊柏は、自分の娘を馬超に嫁がせようとする主君に対して、
「自分の家族も愛せない人間が、どうして他人の娘を愛せましょう」と反対して馬超にひどく恨まれたのだが、
(馬超は直前に正妻とその子を曹操軍に殺されており、ここで言う『家族』とはそのことを指す。
正史でもこの発言があるが『家族』の意味合いが違う。また、楊白の発言という裏付けはない。
ただし、別件で馬超を非難したことはあるらしい)
そのことについて兄である楊松に相談する場面がある。
ちょうどその時、劉備に攻められた蜀から援軍要請があり、馬超が援軍に向かうことになった際に、
楊柏は監視役として同行することになる。
裏で楊松が尽力していたことから、馬超を追い出してついでに弟である楊柏にチャンスを与えたつもりだったのかもしれない。
にも関わらず、劉備軍に買収された楊松は馬超を讒言したのである。追い詰められた馬超がどうするかは容易に想像できる以上、
これは弟を馬超に売る行為も同然だった。事実楊柏は、馬超が劉備軍に投降した際に殺されてしまった。
楊柏もまさか、自分の兄が家族よりも金品財宝を愛する人間だったとは夢にも思わなかっただろう。
他には、龐徳も楊松によって曹操に売り飛ばされている。
最期は曹操によって刑吏へ二束三文で売り飛ばされているが、至極当然の結末といえよう。