楊駿の弟。
武の才能に優れ、司馬炎に従って巻狩りに出た際には自ら虎を仕留めてその武勇を称賛されている。
楊駿が司馬炎の外戚として権力を手にすると、次兄・楊珧も併せて「天下三楊」と呼ばれるほど栄華を極めた。
皇后の父というだけで権力者となった楊駿とは違い、
楊珧・楊済は実力があり、あくまで己の功績で上り詰めたため人望は厚かった。
楊済は楊駿の地盤固めに積極的に協力し、様々な謀略を張り巡らせたが、
やがて驕慢になり独裁に走る楊駿を憂うようになり、何度となく諫言・忠言を繰り返した。
しかし楊駿は聞く耳を持たず、結局賈南風一派のクーデターに遭い破滅。
楊済も捕縛され、部下たちの助命嘆願も虚しく処刑されてしまった。