正史・魏書東夷伝倭人条(いわゆる魏志倭人伝)に記述のある邪馬台国の女王。
邪馬台国は当時の日本に数多あった小国の一つで、かつては男の王を戴いていたが戦乱が絶えず、
卑弥呼が女王に就くと鬼道を以て国を治めるに至ったという。
また生涯未婚で子はいなかったため、親戚筋の壱与を養女としていた。
238年に魏へ朝貢の使者を送り、親魏倭王の位と印綬を受け取っている。
その後247年までは卑弥呼が魏とやり取りをしていた記述が残っているので、この頃までは生きていたものと推測される。
晋の義勇ロード5章では、公孫淵が今まで邪馬台国の使者を勝手に足止めしていた。
討伐されたのを機に司馬懿と接触し実質は晋に所属した、という解釈になっている。
『古事記』や『日本書紀』といった日本の史書に記載される人物で誰に該当するかは諸説あり、
神功皇后、天照大神など様々な推測が成されている。