呂姫や張皇后と同様、父が猛将だったために武闘派の姫にされてしまった一人。
史実では夫である劉理が若死にしてしまったこともあり、ほとんど記述はない。
馬超の一族は潼関の戦いで敗れた罪や、その後の韋康・楊阜との戦いでほとんど殺されてしまっている。
数少ない生き残りも馬超が劉備に降伏する際に一度漢中に置き去りにされており、その中の一人だとするとかなり不憫である。
余談ながら馬一族の女性に武闘派設定を与えるネタは意外と古くから存在しており、1930年に完結したとされる『反三国志演義』では馬超の妹として馬雲騄なる架空の女傑が登場している。