孫晧の代における呉の武将で、陶濬の兄。
なんともパッとしない逸話とコーエーでの顔グラで有名になってしまった弟とは対象的にまっとうな戦績を持っており、
楊稷の率いる晋軍との戦いで配下の将二人を失うと薛珝に叱責されるが、その日の夜に夜襲をかけ晋軍の物資を奪い取る活躍を見せる。
その後、楊稷の籠もる城を攻めることになるが、楊稷は霍弋に
「百日守りきれなかったら家族を処刑する」
と脅されていたにもかかわらず兵糧切れから降伏しようとすると、事情を汲んでそこまでは耐えられるだけの兵糧を与え、
百日経った後で呉内部でも助命を取り付けてから降伏させている。
呉が晋に降伏すると、孫皓直々の命を受けて晋に帰順し、使者を洛陽に送って呉にいた頃の役職を継続する。
天下統一に伴い軍縮を図る司馬炎に対し、南方異民族の脅威を訴え州兵の削減を取りやめさせるなどして交州の発展に貢献した。