献帝の側近の一人にして外戚にもあたるのだが、その出自はハッキリとはしていない。
一般的には霊帝の母・董太后の甥とされるが、董卓存命時は牛輔の配下だったため董卓の縁者という可能性もある。
演義での描写から献帝の忠臣と認識されるのだが、純粋に献帝を援護しようとしていた段煨を讒言したり、
船で献帝とともに逃げる際、船にすがりつく官人の指を矛で切り落とすなどのえげつない逸話も知られている。
また、曹操についても韓暹を追い落とすために力を借りているなど、最初から険悪だったわけではない。
正史における曹操暗殺計画は、漢への忠義というよりも曹操との権力抗争という側面が強かったと見られる。
愛人に曹操暗殺計画を話しており、それがその愛人の間男である使用人にも漏れ伝えられ、
両者の密通を怒り両者を処罰した所恨んだ間男が曹操暗殺計画ごと曹操に密告したことがきっかけで処刑された、という点では
後に同様に暗殺計画を立てるも愛人の間男の密告で処刑された黄奎と共通するものが多い。