人物紹介 / 杜預


杜預

魏末期から晋にかけての名将。
三国志の人物としては「どよ」と読まれることが多いが、近年は「とよ」が主な日本語読みになっている。

博学で物事に明るく様々な史書・経典に詳しい学者としても知られ、
特にかつては関羽もこよなく愛した当時の知識人のバイブル『春秋左氏伝』を愛読し深く研究していた。
その愛読ぶりは、司馬炎に趣向を問われた時に「左伝癖あり」と自認するほど。
本作では過去作から一貫して武人イメージの強いデザインになっているが、
実際の杜預は馬に乗れなかったとまで言われており、根っからの頭脳派・知性派である。

杜預は司馬懿の娘を嫁に貰っているが、父は司馬懿と不仲の末に死去しており、そのため杜預も若い頃は世に出ることがなかった。
後に司馬昭が政権を握ると、司馬昭は義弟である杜預の才能を大いに認め、官僚として取り立てた。
しばらくは文官として働くがその後武官に転任し、鄧艾の蜀漢征伐に従軍。
鄧艾のことは尊敬していたようで、鄧艾が汚名を着せられ横死するとその原因となった衛瓘らを非難している。

羊祜が病で第一線を退くと後任として荊州に赴任し、対呉最前線の重鎮となる。
呉征伐の総大将となると連戦連勝を重ね、ほんの数ヶ月で呉都・建業の喉元にまで迫った。この時には杜預は59歳。
初春に始めた呉遠征は夏に差し掛かろうとしており、配下からは雨季の長雨や風土の違いを警戒した慎重論も出たが、杜預は
「今、我らの勢いは竹を割るが如し」(竹は丈夫だが、一度繊維に沿って裂け目が入ってしまえば簡単に割れることから)
として慎重論を一蹴。その言葉通り、杜預率いる晋軍はそのまま一気に孫晧を降伏させた。
これが大戦シリーズでも計略名に採用されている「破竹の勢い」の語源だという。

彼の子孫が唐代の「詩聖」・杜甫である。

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