官渡の戦いに際して、曹操を父や祖父まで愚弄する痛烈な檄文を書いたことで知られる文官。
かつては何進に仕えていたため、同じく何進の側近であった袁紹とはその頃から面識があったものと思われる。
一説には曹操当人すらも檄文の出来栄えそのものには感心したと言われており、文才は確かであった模様。
(曹操を「贅閹の遺醜」とこき下ろすが、贅の一文字で曹操の父曹嵩を的確に表し、閹の一文字で祖父曹騰を的確に表すキレを見せている)
袁紹の死後は袁尚派に属していたが、鄴を落とされたことで捕虜となると、曹操の前に引っ立てられる。
当然ながら曹操は「なぜ(檄文で)父や祖父まで貶めたのか」と尋ねたので、
「引き絞った矢は放たないわけには参りません」
と答えたところ、カード裏の通り彼の文才自体は高く評価していた曹操に許され、その幕僚となっている。
彼自身も特に袁家への忠誠心があったわけではないらしく、
銅雀台が落成すると他の文人たちと共に曹操を讃え祝福する詩を献じた、
持病の頭痛に苦しむ曹操に文を捧げて気分を落ち着かせた、などの逸話が残されている。
後世の文人にはそれを変節と捉えられ非難されることもあったが、
当人としては忠でも義でもなく、あくまで文に生きただけであったのかもしれない。