人物紹介 / 陳登


陳登

徐州の名士・陳珪の子。旧版では親子で1枚のカードとして登場している。
演義では父共々コテコテの親劉備派として描かれるが、
正史では徐州豪族の代表のような立場として、あくまで徐州を治める人物に臣従していたといった方が史書の記述に近い。
旧版では蜀所属であった彼らが、今作では漢として参戦しているのも恐らくは正史準拠でのカード化か。

そんな訳で陶謙・劉備・曹操を主と仰いだ陳登だったが、一時徐州を占拠した呂布だけは心底気に入らなかったらしく、
父と共に呂布に表向き従う一方で、裏では呂布を滅ぼすための裏工作をしていたことでよく知られる。
それ以外にも、県長を務めていた若い頃から善政を布き民を慈しみ、飢饉が起きれば農業を研究することで完璧に対処し、
また孫策が徐州に侵攻してくると自ら軍を率いて撃退するなど、文武両面で大層優れた人物であったという。
自身の地盤が安定すると、江東進出を狙って陳登の側からも孫策勢力に謀略を仕掛けているなど、能力に見合うだけの野心も持ち合わせていた模様。

刺し身が好物で、そのために寄生虫病にかかると華佗の治療で一度は回復している。
しかし華佗に再発を予言され、3年後に再発すると華佗がいなかったため治療を受けられず39歳の若さで病死したという。
もし長生きしていれば、その能力と野心をもって、群雄の一角として名乗りを上げていたかもしれない。

客将時代の劉備が、劉表との宴席で話が陳登に及んだ際、「あの頃、民衆に対して仁義を以て治めていたのは彼のみ。当代一流の人物だった」と評し、同席の当時名士とされた人物が、「私と会見するとき彼は寝台に寝そべり、私は床の敷物に座らされた」(←やや失礼な行為ではある)と批判すると、
「もし私(劉備)が彼の立場なら、自身は山上に寝て、あんたなぞは谷底に座らせただろう」
とまで言い放ち、劉表を慌てさせた。劉備という傑物をして、これだけの高評価をさせ得る人物であったのだろう。

「天地を喰らうII 諸葛孔明伝」では比較的初期に仲間に加わるキャラとして登場。
武力が低いが知力はそこそこあるため、序盤の軍師(軍師を任命しないと、軍師が習得している策略を使えない)役として起用されるが、
新野城を大きな街にするため劉備軍から一時離脱する。
その後荊州攻略後に新野城を訪れると、洛陽に負けないほどの大都市に発展させており、話しかけると再び仲間に加えられる。
しかしその頃には軍師候補も充実しているため、編成所で髀肉之嘆を託つ事になる羽目に。

Menu

最新の20件

2024-04-15 2024-04-05 2024-04-03 2024-04-02 2024-03-25 2024-03-15 2024-03-14 2024-02-22 2024-02-15 2024-02-14 2024-02-13 2024-01-26 2024-01-25 2024-01-19 2024-01-09 2023-12-06 2023-11-26

今日の20件

  • counter: 4053
  • today: 1
  • yesterday: 0
  • online: 38