孫呉最後の丞相。
司馬昭による蜀征伐が開始されると蜀の滅亡を予見するものの周囲に笑われるが、果たしてその通りになった。
孫晧の代に丞相に就任した直後、晋が呉に攻めてくると孫震、沈瑩、諸葛靚、らと共にこれを迎え撃つ。
沈瑩からは長江を渡って戦うと不利であることから迎撃するよう進言されるが、
「呉が滅びそうなのは誰でも解っている。このまま敵が攻めてくれば兵は離散し、
戦わずして降伏する者が続出するだろう。国難に一人も殉じないといのは恥ではないか」
と却下している。
長江を渡って戦うと張喬を破るものの、王渾の部隊に敗れ壊滅的な損害を負ってしまう。
諸葛靚からは逃げるよう勧められるが、
「今日が私の死ぬ日だ。子供の頃、あなたの家の丞相に抜擢されたが死に場所を得られず、
賢者の知遇に背くことを心配してきた。今こそ社稷に殉ずるぞ」
と言って拒否し、孫震、沈瑩と共に突撃し戦死した。
尚、「諸葛靚の家の丞相」とは、諸葛亮か諸葛瑾のいずれかであるとされる。