賈詡を使いこなして、曹操を討ち取る寸前まで追い込んだ男。
叔父の張済は李傕政権において驃騎将軍にまで上り詰めている。
一説では義理の叔母にあたる鄒氏に恋慕しており、曹操が彼女を召し出したことについては二重の意味で怒ったとも言われている。
また、曹操が胡車児を気に入り金子を与えていたことから、胡車児を使って自身を殺すのではないかという不安もあったという。
もちろん曹操も張繍が恨んでいることは察知していたのだが、賈詡の進言もあり先手を取れたのも勝因と言える。
史実では再度曹操に降伏した後、烏桓征伐中に病死したとされるのだが、曹丕の元を訪ねた際に
「兄(曹昂)を殺した男が、よくもまぁ平然と私の前に来れたものだな」
と嫌味を言われたため、不安を感じて自殺したという説も存在する。
ただ、降将という立場を弁え自重していた賈詡と違い、調子に乗っていた節はあったようである。