人物紹介 / 張華


張華

魏〜西晋にかけて活躍した文官・政治家。

無名の頃に書いた作品『鷦鷯賦』が竹林の七賢の一人・阮籍の目に止まり「王佐の才である」と評価されたことで名声を得る。
そして鮮于嗣の推挙を受け魏に仕えると大常博士に任じられ、その後は長史、中書郎を勤め上げる。

時代が晋に移ると黄門侍郎に任じられ、関内侯に封じられる。
また、羊祜と共に呉討伐の賛成派であり、病が重くなった羊祜から「私の志を継ぐのは君しかいない」とまで言わしめている。
羊祜の後任となった杜預の後押しもしており、実際に呉討伐軍が編成されると補給部隊を担当している。
しかしその実力と人望を警戒されたこと、そして後継者に司馬攸を推して司馬炎の機嫌を損ねたことなどから、
司馬炎の治世では辺境に左遷されるなどあまり出世せず、司馬衷の代になってから国政に深く関わるようになる。
辺境では異民族の統治・慰撫に活躍し、漢民族に反抗的だった部族までもが貢物をするようになったと言われており、実際に政治手腕は確かだった模様。
過激な賈南風と穏健な張華とは、相性が良くはないが良好な関係を保ち朝政を司った。宮廷内はともかく国政は安定したとされる。
しかし八王の乱の最中に司馬倫によって賈南風ともども革命の犠牲者となり、その司馬倫が暴政を行ったことで晋の国政は崩壊した。

元が羊飼いのため身分や過去を問わず優秀な人物は推挙したり高く評価して名声を与えたりしており、
元は敵将である陸機・陸雲を取り立てたり、儒教の慣習に反して不遇をかこっていた陳寿を孝廉に推挙したり、
寒門出の文人で左棻の兄に当たる左思の作品『三都賦』を高く評価して、洛陽で流行するきっかけを作ったりしている。

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