人物紹介 / 丁奉


丁奉

孫権の代から呉に仕え、孫皓の代まで仕え続けた宿将。
若手時代は甘寧、陸遜、潘璋といった武将の下で戦い、孫亮の代に正式な将軍に昇格している。
一介の若き武官だった頃の記録が乏しいため、いつ頃から孫権に仕えていたかははっきりしないが、
演義では赤壁の時点で周瑜の部下として登場している。
赤壁は208年、丁奉の没年は271年であるため、これが事実なら60年を超える戦歴を誇ることになる。

彼が大々的に戦史に名を表すのは孫権の死に乗じて司馬懿の命令で諸葛誕・胡遵らが呉に攻め寄せたのを
諸葛恪らと共に迎撃した東興の戦い。
この戦いで呉軍は大々的な勝利を収めるのだが、その要因は諸葛恪の軍略以上に
当時、呉には少なくなっていた叩き上げの歴戦の猛者である丁奉の活躍が大きかったと言われる。

その後、政変を乗り越えつつ、呉に将軍として仕え、
孫チンの専横に頭を悩ませた呉の三代皇帝・孫休から悩みを打ち明けられると、
自ら剣を取り、孫チンを斬っている。

斜陽の呉を支え、気に入らない臣下はすぐに処刑した孫晧でも軍事の最高実力者であり歴戦の猛者である彼に手出しは出来なかった。

最終的には大将軍まで上り詰めたのだが、昇格するごとに傲慢な態度が目立つようになり、
死後に孫晧から生前手出し出来なかった意趣返しに、遺族が左遷・強制移住されるという憂き目に遭っている。

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