孫策の娘の一人で陸遜の妻。陸抗の母。
姉妹に顧邵(顧雍の子)、朱紀(朱治の次子)に嫁いだ二人がいる。
「孫策の陸康討伐や揚州侵攻により、関係が険悪になった陸家との和解の一環として陸遜に嫁いだ」とされることもあるが、
実際は陸遜が仕えてから十数年後、山越討伐の功績が評価されたことで孫権に気に入られ与えられたようである。
(そもそも、孫権が跡目を継いだ直後ではまだ適齢期まで成長していないだろう)
また、陸遜の叔父にして本家家長の陸績は孫策の代ですでに仕えている辺り、本当に険悪だったかも疑問がある。