あの大虎こと孫魯班の夫として知られる武将。
孫権に娘を与えられるほどの人物だけに若い頃から有望で、父に輸送を命じられた米を処罰覚悟で貧民に施してしまう、戦乱の中原から疎開してきた者たちに家財を切り崩してまで援助する、といった慈悲深さで名を轟かせた。
二宮の変について、フレーバーでは「妻の暴走を抑えきれず最期まで苦悩し続けた」とあるが、実際に当初は慎重派で孫和派の陸遜に中央の情報を流すなどしていた。
しかし子の全奇が孫覇に仕えていることを陸遜に非難されたことで仲違いし、結局本人も孫覇派に付いている。
孫覇派に付いたことは後世の歴史家からは汚点とされており、陳寿は「子の悪事を野放しにしたことで名誉を失った」と書いている。
さらに裴松之に至っては論外とまで評している。
一方で慎み深く温厚恭順、一軍の将としては慎重で万全を重んじたとの人物評もあり、「父から預かった米を勝手に施すとは何事だ」との批判に対しては上記の裴松之も擁護に回っているなど、人格面では評価が概ね悪くない。
裏書のように妻や子の権力争いに振り回されただけの哀れな人物だったのか、それとも本人なりの謀略を持った腹黒だったのか、真実は歴史の闇の中である。