袁紹軍の武将の一人。後に曹操軍に仕えた辛毗の兄にあたる。
袁紹死後の後継者争いでは、郭図と共に袁譚を支持して逢紀、審配らの支持する袁尚と対立。
審配とは個人的に仲が悪いこともあり、袁譚に袁尚へ積極的な攻勢策を進言している。
しかし敗れてしまったため、弟の辛毗を曹操軍への使者に立てている。
それ以後の本人の事績は書かれていないが、鄴に家族を残していたらしく、曹操軍によって鄴が陥落する際に審配に家族を皆殺しにされたという。
三国志演義では袁譚からの降伏の使者として曹操の元に訪れるが、降伏を認められなかったばかりか曹操へ既に降っている辛毘の事を引き出されて逆に引き抜きを持ち掛けられる。
辛評はこれを断り袁譚への忠義を見せたものの、使者としての使命を果たせなかったことで袁譚に曹操への内通を疑われ、それが元で憤死した。
これまで彼が登場したバージョンのカード裏の説明では、全て彼の死因が袁譚に疑われた事による憤死とされている。皮肉にも名の通り「辛い評」を受けてしまったようだ。