人物紹介 / 鍾ヨウ


鍾繇

書の達人にして、曹操軍の官僚・魏の政治家として数々の要職を歴任した重臣中の重臣。
本作では文官だが軍務にも優れ、官渡の戦いでは後方支援を担当し軍馬2000余りを調達。
曹操からは劉邦の名幕僚・蕭何に例えられるほど評価・信任され、
関中方面では涼州の雄たる馬騰一族や韓遂を(一時的とはいえ)従属させるほどの手腕を発揮した。
演義では当人の活躍はあまりなく、むしろ蜀平定の功労者の一人・鍾会の父として有名。

まさに文武両道を地で行き、三公の太尉(軍事最高司令官)に登りつめたほどの名政治家であるが、
欲しいものは何が何でも手に入れようとする俗っぽさが時折垣間見られる。
彼は後漢の書家・蔡邕に憧れ、その技法を知りたがっていたが、
韋誕という男が蔡邕の書いた書を持っていると知ると、妬ましさのあまり自分の胸を叩きまくって吐血し曹操に介抱されたという。
…後に韋誕が死去するとその墓を暴いて蔡邕の書を強奪したとも言われる。
もっとも、この件は鍾繇自身が大変優れた書家であったことも関係しているのだろう。
後漢〜三国はちょうど隷書から楷書への過渡期にあたり、鍾繇はちょうど両者の特長を併せ持った「鍾繇体」と呼ばれる独特な書体の生みの親である。
三国志の人物としては脇役であるが、文化史(特に書道史)では必ず名前が出てくるほどの有名人。

若い新妻を溺愛するあまり側室と離縁したことがあり、その側室との復縁を曹丕に強要されたが、それを嫌がった鍾繇は毒を飲んで自殺しようとした。
しかし毒が手に入らなかったため、山椒をヤケ食いし、喉を傷めて口がきけなくなったという。
テキストにある、「我が舌が滅びても〜」という部分は、この自傷行為が元ネタ。
(三国志大戦2ではヤケ食いしたのは山菜となっており、イラストで食べているのはキノコになっているが正しくは山椒である。)

ちなみにその若い新妻(張菖蒲)との間には息子(鍾会)がいるが…なんと生まれたのは鍾繇が75歳の時である。

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