孫策の代で仕えた武将の一人。演義では、孫策に仕官する以前は周泰とともに川賊をしていたとされる。
実は「呉下の阿蒙」の逸話に登場しており、呂蒙とともに孫権に学問を勧められている。
呂蒙ほどの出世をしていないためいまいち目立たないが、その後「長じてからも学問を修めるのは人々の模範だ」と国士として賞賛されたというので、成果はあったようである。
豫章の治安維持に当たっていた頃、徐盛が彼の配下を処罰しようとしたことがあった(理由は不明。孫権が許可しなかったため実行はされなかった)。
以来徐盛は彼を敬遠していたが、濡須口の戦いで徐盛が指揮下に入ると、彼は徐盛の優秀さを褒め称えた。
またその事を孫権に聞かれると「公務に私情を挟まないのは当然」と断言し、以来徐盛は彼に心服することになったという。