『後漢書』袁紹伝に記述される、袁紹配下の武官。
守将として黎陽に駐在していたが、官渡で大敗を喫した袁紹がわずか800の手勢で落ち延びてきたため、
自陣に迎え入れると共に袁紹が健在であることを周囲に伝え、敗残兵を集めた。
記述の限りでは当人の歴史上の事績はこれだけであり、演義においてもほぼ同様の出番しかなく、
要はカード裏のテキストがほぼ全ての人物。
蒋が姓と思われるが、義渠が珍しい二字名なのか、それとも字しか記録に残っていないだけなのかははっきりしない。
袁紹配下には同姓の蒋奇という武将が存在するため、義渠は蒋奇の字であり蒋奇と蒋義渠は同一人物ではないかとする見方もあるが、記録が少ないため根拠に欠けており俗説の域を出ない。
吉川英治版ではどういうわけか姓を省略され、義渠という武将として登場している。