泰山に割拠した群雄。昌豨とも。
泰山郡の出身である于禁とは友人関係にあった。
元は臧覇を首領としており、臧覇が呂布軍と同盟を組んだ事もあって呂布に協力していた。
呂布の死後、臧覇が曹操に仕えると付き従っている。
しかし劉備の離反時や官渡の戦いに乗じたりと度々反乱しては鎮圧され降伏するという事態を続けていた。
206年に5度目の反乱を起こすと、旧主・臧覇や旧友・于禁が鎮圧にあたる。
当初は于禁を手こずらせるも夏侯淵の増援により包囲されると降伏するが、
「軍法により、包囲されてから降伏した者は許すことができない」
として于禁に処刑されてしまった。