人物紹介 / 徐バク


徐邈

魏に仕えた武将・政治家。娘が王濬の妻となっていることが知られる。

曹操の時代の記録はフレーバーにも記される酒の上の失敗以外にこれといって無く、
主に曹丕・曹叡の代になってから活躍している。
特に曹叡の代には涼州刺史に任じられ、民には農耕や教育を推進し善政を布き、
異民族に対しては小さな過失は不問としながら、大きな罪には必ず有力者への手続きを経てから厳罰を下し、信頼と心服とを得ていった。

あまりに清廉が過ぎて部下にばかり施しを行うため、妻子に貧しい生活を強いてしまうことがあり、
曹叡はそれを知ると徐邈の一族に随時支給を行ったという。
249年に死去。葬儀は三公の待遇で行われ、穆侯と諡された。
一族に遺産をほとんど残さなかったため、後に遺族に対して彼の清廉さと功績を称えるという形で特別支給が行われている。

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