人物紹介 / 州泰


州泰

魏末期の武将。鄧艾伝に記述がある。
荊州の出身で、当時の荊州刺史・裴潜に下級役人として取り立てられる。
当時荊州方面の総司令官を務めていた司馬懿の元に何度も使者として赴いていたため、
司馬懿に顔を覚えられたことが後の出世ルートに繋がった。

孟達の討伐においては案内役を務め、司馬懿の驚異的なまでの行軍速度を強力にサポート。
親や恩人などを立て続けに亡くしたのか、その後は9年間もの喪に服していたが、
その間も司馬懿は州泰の存在をしっかり覚えており、喪が明けるとすぐに太守に取り立てた。
司馬懿が見込んだ通り、前線の統治や軍の統率、そして呉との戦いで大活躍した州泰は、
司馬懿・司馬師政権時代においては、同じく非名門の地方小役人から実力で上り詰めた王基・鄧艾・石苞と並び称されていたという。

裏書には鍾会に罵られたとあるが、ここは正史では鍾繇と記されている。
しかし州泰が活躍した時代には鍾繇はすでに没しているため、
実際に彼をバカにしたのは鍾会ではないかとの見方が強い。鍾会の性格的にもありそうな話である

なお日本語読みが「しゅうたい」で周泰と紛らわしいのだが、
所属国も年代も全く違うためかほとんど話題にされない。

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