皇甫嵩、盧植らとともに黄巾の乱で活躍した名将。
揚州出身であり、黄巾の乱では同郷の孫堅を召し出している。さらに武功を讃え、上奏したことで孫堅は別府司馬に任命されている。
董卓が洛陽に入り実権を握ると、長安遷都を企む董卓に真っ向から反対する。
もちろん董卓からは恨まれるが同時に名声を利用するべく副官として側に置こうとすると、遷都の事を持ち出して反発し使者を追い返している。
朝廷の人々は、董卓相手に一歩も引かない朱儁の剛直さを褒め称えたという。
ただしその硬骨漢ぶりは李傕、郭汜相手には裏目に出てしまい、
二人が争うようになると仲裁しようとするが、郭汜に人質として捕らえられた屈辱から憤死している。
正史では貧しい身分の出身でそこから立身出世し、後漢末期を代表する名将にまで上り詰め、性格も上記の通り立派なものだが、
演義では権力を笠に着て、当時義勇軍の劉備たちに横暴に振る舞うどころか、
彼らの手柄を奪って自分のものにしてしまう小悪党として描かれる。
皇甫嵩が凡将、あるいは愚将として描かれるように、あまり漢の将である彼らが立派に描かれると、
ルーキーである劉備や曹操たちが相対的に英傑然として描く事が難しくなるからであろう。