人物紹介 / 朱拠


朱拠

呉の四姓の一つ・朱氏の出身で朱桓とは同族にあたる。

呉に仕官したのは黄武初年(222年?)であり、すでに曹丕、劉備が皇帝を名乗った後。
当時は呉に優秀な武官がいなくなっていた頃だったため、孫権からは呂蒙の後を継ぐ者として期待されていた。
孫権が皇帝を名乗った頃に、小虎こと孫魯育を娶っている。
その後、孫権の期待に沿う実力を見せたようで驃騎将軍、丞相代行に昇進している。

二宮の変では孫和派に属しており、太子孫和の弁護に終始した。
最終的に孫和は廃嫡され幽閉されたと聞くと顔に泥を塗り、縄で自身を縛った姿で現れて抗議する。
しかし孫権の怒りを買い百叩きの刑に処せられた上で左遷されてしまう。
さらに孫覇派の孫弘に讒言され、任地に赴く前に勅命と偽り自害を命じられて死去する。
将才もあり、孫権の娘を娶るという人生の前半はツキに恵まれていたのだが最終的には悲運の人生であった。
どうした事か小虎との娘の朱皇后も自らが立てた孫晧に迫害されて死に追いやられるという悲劇の人生を辿る事になってしまう。
小虎も朱拠死後に大虎の讒言で孫峻に殺されており、孫呉末期の混乱に翻弄された悲運の一家であると言えよう。

三国志大戦では2以来の再登場。当時も弓兵だったが能力は「無特技5/7・守城徒弓戦法」から「勇猛8/2・漢の意地」と大きく変化した。
当時から妻の小虎は幼い少女の外見で描かれていたためネタでロリコン扱いされる事も多かったが、
さんポケの小虎伝では小虎に「おじちゃん」と慕われ歓喜の絶叫を上げるという半ば公式からネタ扱いをされる羽目になってしまった。

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