攻めた敵陣は必ず落とすという意味で「陥陣営」の異名で知られた猛将。
清廉な人格者と史書に書かれており、(正史で正当とされる)曹魏の敵対者ながら高く評価されている。
呂布も対しては度々諫言することもあり、呂布からは実力と忠義を評価しつつも疎んじられていたという。
郝萌の反乱後は特に顕著となり、魏続の部隊と交換させられる事もあったが怨みに思わず仕え続けた。
また、郝萌の反乱には陳宮が一枚噛んでいた事もあってか、陳宮とは不仲であったという。
演義では小沛の劉備を攻める戦いで夏侯惇と一騎討ちをするも、敵わず逃げるシーンが書かれている。
この時逃げるところを曹性が援護射撃し、夏侯惇の左眼を射抜いている。