蜀の武将で、同じく蜀に仕えた文官である向朗の甥。
叔父はかつて劉表に仕えていたが、彼について劉表存命時の動向は特に知られていない。
夷陵の戦いでは軍勢を無傷で生還させたことで評価され、劉禅の代になると出世を重ね近衛兵の指揮を任されるまでになる。
諸葛亮からの評価も高く、出師表で
「善良、公平な性格で軍事に通じているので、軍事のことは彼に聞けばいい」
と書かれている。
諸葛亮の死後、異民族の討伐中に戦死している。
正史や演義の限りでは経歴も評価も軍人・武官一筋の人物なのだが、
光栄(コーエー・コーエーテクモ)の『三國志』シリーズ初期作では脳筋になったり逆に知将寄りにされたりと評価がブレまくっていたりする。