孫堅の正室。孫策、孫権、孫翊、孫匡の母。ほかに一女を生んだという。
孫権が呉を建国すると「武烈皇后」と諡された。
今作のフレーバーにもある通り、史実での孫堅とのなれそめは殺伐としていた。
求婚を断ったあとのお礼参りを恐れた、という悲壮感満載な結婚だったが、夫婦間の不仲はこれといってなかったようだ。
孫堅が反董卓連合に参加すると呉夫人は孫策ほか幼い息子たちとともに舒に移住し、周瑜を輩出する名門周家ほか、後々まで孫家の助けとなる人脈をこの地で築き上げる。
特に周瑜には心からの敬意と信頼があったようで、後に兄の跡を継いだ孫権には「周瑜を兄と思え」とまで言っている。
孫堅死後の呉夫人は夫の意志を継いだ息子のサポートに徹した。
特に孫策には手を焼いたようで、孫策が地元の名士を処断しようとするのを命がけで止めたり、
敵対する軍勢のなかにいる、亡き孫堅と旧知の仲だった人物の命は奪うべきでないと諭したりした。
演義においても孫策が于吉を殺そうとするのを止めるシーンがある。
ここでの孫策は母の言葉を聞かず、殺害した于吉の呪いによって亡くなった。
没年には202年説と207年説があるが、どちらにしろ赤壁以前に亡くなってしまっているため、
演義では劉備との政略結婚話が持ち上がる際に、孫尚香の母親役として妹の呉国太が登場する。
その強烈な存在感ゆえに史実にもいた孫堅の妾と混同されがちだが、
現実問題、呉夫人と孫堅の結婚の過程を考えると、実の妹も孫堅に嫁ぐのはきびしいものがある。
そのうえ、孫権は腹違いの兄弟である孫朗が失態を犯した時、他人同然に冷遇した形跡が残る。
その際に孫朗の孫姓を剥奪し丁姓を名乗らせたことから、孫朗の母は丁氏だった可能性がある。
呉国太はあまりにも物語に溶けこんだ人物だが、実際の孫堅の側室と呉夫人に血縁関係はなかったと思われる。