袁紹に使える幕僚の一人で、曹操とも昔なじみ。
黄巾の乱の後、王芬らと組んで霊帝廃立運動を起こしたものの失敗し、袁紹に仕える。
袁紹軍としては逢紀と並ぶ最古参にあたるものの、前述の過去や強欲な性格からあまり重用されなかったという。
(なにせあの袁術に強欲と非難された程である)
官渡の戦いでは許都や曹操軍の兵站を奇襲する進言を却下されたこと、戦いの直前に審配に家族を逮捕された怨みなどから、
袁紹軍の兵糧基地である烏巣の情報を手土産として曹操に降り、曹操軍を勝利に導いている。
しかし曹操と旧知であることを理由に馴々しい態度をとったり、官渡の功績を自慢気に吹聴しまくったことで不興を買い、
曹操軍が鄴を落とした後、城門で
「わしがいなかったら曹操はこの門をくぐることができなかっただろう」
と自慢したことを密告され、処刑される(演義では許褚相手に自慢したところ、怒りを買い斬られている)。