人物紹介 / 韓遂


韓遂

西涼に軍閥を築き上げ、後漢に対し反旗を翻し続けた群雄。
元の名は韓約と言ったが、涼州の異民族や盗賊たちが結集し反乱を起こした際に首領として擁立され
(一度は捕縛されたが、解放されたうえで反乱軍の将となるよう説得されたとも)、
以後は韓遂と改名し、朝廷や権力者に抗い続ける生涯を送った。

とは言え時と場合を考えずひたすら噛みつき続ける狂犬だった訳ではなく、
馬騰と義兄弟の契りを結んだり、曹操に(一時的に)従属して他の賊徒の鎮圧に出陣したりと、時にはひとりの群雄としての政治的な立ち回りも見せている。
特に馬騰一族との関係は複雑で、一時は互いの家族を殺し合うほどの敵対関係でありながら、後には馬超と共同戦線を張って曹操に立ち向かっている。

曹操が漢中・涼州の制圧を目指して夏侯淵らの軍を差し向けると、馬超・韓遂ら涼州豪族は異民族の力も借りてこれに反抗。
中央で人質になっていた馬騰・馬休・馬鉄や韓遂の子・孫たちは処刑され、韓遂らは曹操との全面戦争に突入する。
当初は善戦するが、賈詡の策により馬超との関係が悪化し、連携が乱れたところを夏侯淵に各個撃破されてしまう。
閻行など盟友や配下の離反も相次ぎ、一度は劉備を頼って逃亡しようとも考えるが、成公英に徹底抗戦を進言され激励されたため独立を貫く。
結局は部下の反逆に遭い殺害されてしまうのだが、その時韓遂70余歳。人生のほとんどを反逆と闘争に捧げた、まさに真の意味での反骨の男であった。

演義では義兄弟である馬騰が曹操に討たれた後、その息子馬超の軍師的立ち位置となり曹操軍を苦しめる。
史実同様の賈詡の離間の計に嵌り、疑心暗鬼に陥った馬超により左腕を斬られ、やむなく曹操に降伏する…という義と悲劇の将である。

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