郭嘉の子。
父の死後、その後を継いで曹操に仕える。
知力面は父譲りで頭の回転が早く、太子文学に任命されるが若死にしたという。
一方で人格面では好悪が激しく、尊敬するものには泰山に接するかの如く接する一方で嫌いな相手は徹底的に見下しており、
王昶は自身の子や甥に「ああいう人間にはなるな」と悪い例として挙げている。
妻に先立たれた後、荀采と再婚しようとするも拒否され自害されたという逸話が存在するが、
年代面で合わない(荀采の父・荀爽の没年は190年で、当時は父の郭嘉が21歳である)ため、同名の別人の話と思われる。