後漢末の伝説的な名医。
「麻沸散」という全身麻酔を用い、人類史上初となる開腹手術を行ったといわれている。
偏頭痛持ちであったといわれる曹操は、華佗の噂を聞くと典医として招聘し、持病の治療をさせていた。
ただし本人としては(当時低い身分とされた)医師としてしか扱われないことに不満を抱くと妻の病気を理由に帰郷し、曹操のもとに戻らなくなる。
妻の病気という話が嘘と判明すると、怒った曹操に捕縛され、処刑されることとなる。
投獄されている間に自身の世話をしていた獄吏に医学書を託したものの、その獄吏が処罰を恐れて受け取りを拒否したため、
医書は焼き捨てられて彼の技術は失伝してしまっている。
(その青嚢書はほんの一部だけ焼け残ったというが、焼け残った部分の内容は
ブタやニワトリの解剖図や去勢術という、何とも言えない物であった)
正史では陳登の寄生虫病や死んだ胎児のために病にかかった李通の妻を治療している他、
演義では全身に傷を負った周泰や、毒矢を受けた関羽に対して外科手術を施している。
さらに曹操に対しては脳外科手術を提案したものの、自身を暗殺するのではないかと疑った曹操によって投獄、処刑されている。
(曹操は華佗が関羽に手術を施したことを知っていたため、その線からも疑ったとしている)
なお、伝説的な医師として後世に名が知られていたことから、江戸時代の医師・華岡青洲も華佗を意識しており、
彼の開発した麻酔薬・通仙散の別名も華佗のものと同じ麻沸散となっている。