曹操の一族衆にして曹操軍最古参の将の一人。夏侯惇の従弟とも異母弟とも言われる。
「三日で五百里、六日で千里」と称される神速の行軍を誇り、涼州戦線では「虎の如く関右を駆け向かうところ敵は無し」と曹操直々に讃えられるほど連戦連勝を重ねた。
一方でその戦法は己の武勇に任せた猪突猛進だったようで味方からはその指揮・用兵の平凡さを称して「白地将軍」と呼ばれていた。
後述の通り戦術については曹操からも忠告されていたのだが、定軍山の戦いでは結局勇に逸って黄忠に討たれるという結果に終わっている。
そんな拙速を地で行く彼の計略が「巧遅の乱撃」なのは曹操に「指揮官たるもの時には臆病さも必要で常に知略を用いよ」
と忠告されていたという話からか。
正史では7人の息子の名が知られており、いずれも優秀さを示すエピソードを持っている。
ただし演義で登場したのは夏侯覇、夏侯威、夏侯恵、夏侯和の4人のみで、兄弟の順番も詰められている。
『蒼天航路』では曹操から「兵の将」ではなく「将の将」になることすなわち「王」となることを見込まれており、
最期の戦いとなる定軍山の戦いでも劉備に「王」として劉備の在り方を問うた。
その後、黄忠と一騎打ちとなるが、なんと勝ってしまい、
そのまま魏延・張飛の迎撃も突破。劉備に襲いかかるが諸葛亮の伏兵に逢い致命傷を負った所を黄忠に討たれた。
あまり黄忠に敗れたというイメージの湧かない展開ではあるが、同作は魏が主人公側であり、
夏侯淵はその中でも曹操旗揚げからいる最古参メンバーにして作中の重要人物。
展開の都合上、漢中戦が初登場となる黄忠ではその夏侯淵を討つのはいささか役者不足だと判断されたのだろう。