夏侯淵の甥にして曹丕の親友。曹丕からは知略に長けている所が気に入られていたとか。
曹操の代から活躍しており、袁紹死後の冀州平定では騎兵を率いて戦った他、烏桓の反乱を曹彰と共に討伐している。
曹丕の代に劉封と孟達が対立し、孟達が魏に降ると上庸奇襲を提案し、孟達、徐晃らと共に上庸など三郡を攻め落としている。
孫呉との戦いでは曹丕の親征に同行して江陵の包囲戦に参加し、呉側の救援部隊として現れた諸葛瑾と交戦した。
夏侯尚は正室として曹真の妹(つまり曹操、曹丕の同族)を娶っていたのだが、側室に夢中で正室に目をかけていなかった。
親友と言っても曹丕にとってこれは面白くないところであり、ある日刺客を差し向けてその側室を殺害している。
これにショックを受けると精神を病み、側室の墓を掘り起こして遺体の顔を見ようとまでするようになってしまう。
曹丕はこのことを聞くとかつて杜襲から「人のためにならない」と讒言されたことをもっともだと評したが、
哀れに思ったのか厚遇は続けており、病が重くなった後も自ら見舞いに訪れていた。
演義では定軍山で夏侯淵配下として登場し、黄忠に捕縛される。
その後、夏侯淵側が捕縛した陳式との捕虜交換により解放されるが、
その際に陣営に逃げ込むところを背後から黄忠に狙撃されて重傷を負うという何とも冴えない出番になっている。