夏侯尚の子で、司馬師の最初の正室・夏侯徽の同母兄。
母は夏侯尚の正室である曹真の娘であるため、曹爽とは従兄弟に当たる。
曹叡の代では、毛皇后の弟・毛曾と同席するのを嫌がったことで羽林監に左遷されたり、
諸葛誕らと共に称号を付け合っていたところが曹叡の不興を買い免職されたりしている。
曹芳の代になると、曹爽の縁戚ということで散騎常侍、中護軍に昇進する。
また、何晏や司馬師とも交友関係を築いていたが、後に双方の主である曹爽と司馬懿が対立するようになり、
司馬懿が勝つと中央に召し出され名目上は要職に就くも曹爽派と友好関係にあったとして警戒される身となる。
また、この頃に夏侯覇から亡命を進められているが却下したため、夏侯覇は単独で蜀に亡命している。
司馬懿の死後、自身を慕っていた李豊よりクーデターの旗頭とされるが計画が露見したため逮捕、処刑される。