正史では夏侯淵の四男、演義では兄の夏侯衡、夏侯称がいないため次男として登場する。
羊祜の才能を見出して兄・夏侯覇を説得し、夏侯氏を嫁がせたことが知られている。
また、自身の孫に当たる夏侯光姫は司馬伷の子・司馬覲に嫁ぎ東晋の初代皇帝・元帝となる司馬睿の母となっている。
人相見の朱建平からは
「49歳のときに州牧になるが同時に災難に見舞われ、それを越えれば70歳まで生きられる」
と予言され、その言葉通り荊州、兗州の刺史を歴任したが49歳の時に病気にかかってしまう。
しかしその年の暮れになって快方に向かったので大晦日に快気祝いの祝宴を開き
「明日になれば50歳になる。朱建平のいう災難を越えることができたぞ!」
と喜ぶが、その日になって病が再発して死んでしまったという。