深沈典雅で器量があったと記される、晋の名将。妻は鍾繇の曾孫にあたる鍾琰。
魏末期〜晋初期には王姓の名将が複数存在するが、この王渾のほか、本作に登場している王基、
Ver2.1で遅れて登場した王濬、Ver3.0でシリーズ初登場となった王戎、記録の限りではすべて別家である。
おまけに王戎の父も王渾というため大変に紛らわしい。
(字が玄沖とあればこちらの王渾、長源とあれば王戎の父である)
若い頃は魏に仕え、曹爽からも招聘されたが、曹爽が政争に敗れ処刑されると免職される。
後に復帰して司馬昭に重用され、晋王朝が成立すると徐州刺史として善政を行い民心の安定に努めた。
その後は対呉の最前線で武威を示し、多数の兵や民を降伏させ、薛瑩・魯淑の率いる呉軍10万を僅かな手勢で撃退するなど活躍。
呉征伐では主力の一角として獅子奮迅の活躍をするが、王渾が呉の本隊と戦っている間に王濬が孫晧を降してしまったため、王渾はこれを独断・抜け駆けと批判。
王濬から孫晧の身柄を引き渡され、また王渾も王濬同様に呉征伐の元勲として称えられることで大きな対立には至らずに済んだが、二人の不仲はこの後も長く続いたという。
統一後の晋では武官・軍人ではなく文官・政治家として要職を歴任。
実績十分な老臣として大いに信頼され兵権を与えられることもあったが、
「文官が一時の寵愛によって兵を持つことは旧典にはない」としてこれを固辞し、その見識を称えられたという。