人物紹介 / 王基


王基

武官・文官問わず様々な任地・官職を歴任し、功績と出世を重ねに重ねた魏末期の傑物。
本作では晋軍所属となっているが、実際の彼は晋王朝成立前に死去している。

政治家としては刺史を務めていた王淩に見出されてその片腕として活躍し、共に各地で善政を布いた。
特にかつて黄巾残党によって荒らされ、長らく無法地帯となっていた青州に治安を取り戻したことで評判を上げ、
王朗が彼を中央で登用することを望んだが王淩に止められたとの記録も残る。
やがてその能力は司馬懿の目にも留まり中央に栄転、曹叡の宮殿造営を故事を引き合いに出して諫めている。

その後一度は官を辞するが、曹爽から招聘を受けて対呉の最前線に赴任し、
民心を掴み守りを固めて呉の侵攻を許さず、諸葛誕からも意見を求められるなど活躍。
曹爽配下としてはカード裏の通り論文を著して独裁を諫めるが聞き入れられず、やがて病のため免官。
曹爽が政争に敗れ処刑されると復職し、再び最前線の荊州へと赴いた。

軍事・政治の両方で数多の修羅場を経験してきた王基の知見は、魏の実権を掌握した司馬氏から大いに信頼され、
司馬師・司馬昭政権下では、彼らの軍師のひとりと言っても過言ではないほどの活躍をしている。
司馬師は政権を握ると王基から政治家の心得を書物で伝授され、司馬昭は諸葛誕の反乱に際して王基の意見を仰ぎ、
共にその言葉を全面的に受け入れ、大いに成果を収め失敗を防いだ。
司馬昭は王基を要職に任じるが、王基はあくまで部下に功を譲ったため、配下から7名が侯に出世したという。
亡くなる数ヶ月前にも呉将の偽投降を見破るなど、その知略と判断力は生涯衰えることなく、在官のまま261年に死去。
死後に改めてその大功を評価され、景侯の諡と司空の位を追贈された。

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